母がいかに父を忘れて、佐藤の意のままになって行ったかを、少し長くなりますがお話いたします。

始めは、昭和40年の頃ですからもう41年位前になります。

父「義男」39歳。

母「幸子」33歳。

私「順次」10歳(小4)。

佐藤さんは「寛治」と言い、当時、たぶん52~5歳の頃だったと思います。

我が家は代々農家でした。

お祖父さんの頃に片手間に雑貨屋を始めましたが、近所に百貨店などが出来てからは、ほとんど売れなくなりました。

ですが、父と母の人柄のせいか用も無いのに店に訪れる人は多く昼真っから酒盛りが始まるような近所の暇人の寄り合い所のようになっていました。

数件貸家があったので食べるにはそこそこ困りませんでしたが、「そろそろ店をたたんで勤めにでも出ようか?」と両親が話し合っていたときに、近所に住んでいて飲み友達の佐藤さんが「それならよっちゃん、ワシん所の仕事を手伝ってくれんか?」と言ってきました。

佐藤さんは「佐藤組」と言う30人程の人足を使う土建屋で大手の土木会社の下請けをしており、当時はブームになりかけていたスキー場のリフトを設置管理する仕事を専門にしておりました。

当然仕事は、これからスキー場を建設しようと言う地方の山の中ですし、雪の無い4月から雪の降り出す11月頃までの突貫3Kの出稼ぎ仕事(今で言う単身赴任)。

当時は、東海道新幹線も出来たばかりで(まだ『ひかり』も走って無い時代)出かけたら最後まで帰ってこられないどころかこれから開発しようとする山の中ですから電話も無い様な所での仕事です。

そんな訳で父は渋っていましたが、佐藤は毎日のように家に通って来ては、両親を口説いておりました。

しかし、その裏にある佐藤の狙いなどその時の両親には思いもよらないことなのでした。

とうとう父も根負けして、期間は4月から10月一杯で、8月のお盆には一時帰郷出来る事と言う条件で出稼ぎに行くことになりました。

父は3月の終わりに富山の山奥へ出稼ぎに行きました。

その後、父と母は月に一度位のペースで手紙のやり取りをして近況や相談事などを連絡しあっていました。

佐藤の家は我が家の近所に在りましたが、「佐藤組」の事務所は、少し離れた「T市」の駅前にあり、佐藤は月の初めの1~2週間ほどは事務所を中心に仕事をしたり営業に回ったりして残りの月の半分を現場で過ごすということを毎月しておりました。

当時は銀行振り込みなど無い時代でしたので、佐藤が月初めに現場から戻ったついでに父の給料を母に手渡すことになっていました。

5月の初めの夜に佐藤は家を訪れ、母に初めての父の給料を手渡しました。

その際に母はお酒と手料理でもてなしましたが、この辺は田舎のためにそのこと自体は別に珍しいことではなくて、むしろ当たり前のことで誰かが家に訪ねてくればお酒と肴でもてなすのはいつものことでした。

佐藤もいつものように楽しそうに父の近況などを話して帰ってゆきました。

そして次の6月の初めに佐藤がいよいよ本性を現したのでした。

前の日に佐藤より電話があり「明日の午前中に行く」とのことでしたので、母は子供達を学校に送り出してからいつものように酒と肴の用意をして佐藤の来るのを待っていたのでした。

梅雨の前にも関わらず暑い日が何日か続いたときで、その日も朝から真夏のような暑い日でした。

10時過ぎに家に来た佐藤は背広を手に持ち、いつものネクタイを外して全身汗まみれだったそうです。

給料を母に手渡して居間に訪された佐藤は、母に「汗をかいて気持ちが悪いから、行水させて欲しい」と言い、その場で着ている物を脱ぎ当時ではまだ珍しいブリーフ一つになると勝手知ったる家とばかりに風呂場に行きました。

当時、この辺りの田舎でブリーフを穿いている人は、よほどのおしゃれな人で普通は白い綿の四角いパンツ・・・今で言うトランクスか、ふんどしを愛好している人もまだかなりいた時代です。

まだ扇風機があればいい方で、夏に行水で涼を取るのは当たり前でしたし、我が家ではお風呂も薪からやっと石油で沸かすようになったばかりでシャワーなど子供の私など見たことも無かった頃です。

母は佐藤の脱ぎ散らかした服をハンガーに掛けて、タオルと父の浴衣を持って風呂場に行き、佐藤に声を掛け脱衣籠に浴衣を起きましたが、そのとき佐藤の脱いだブリーフが目に留まり思わず手に取り股間の辺りの匂いを嗅いでしまうのでした。

そこには男の汗の匂いとはっきりと判る男根と精の匂いがして、頭がしびれ身体の芯が熱くなる感じがし女唇が濡れて来たそうです。

母は33歳になったばかりで、なおかつ2ヶ月も父と離れて暮らしていたので知らず知らずに身体が疼いていたのでした。

その上突然、佐藤の汗に匂う逞しい男の裸体を目の当たりにして、今まで父親程の年上の佐藤に対して感じたことの無かった『男』を、この時はじめて意識したのでした。

行水をしてさっぱりした顔の佐藤は床の間を背にして胡坐をかいて座りましたが、父より一回り大きな体に父の浴衣は小さく、前がはだけて行きます。

母が驚いたのは、佐藤がブリーフを穿いていなかったことでした。

ビールをうまそうに飲みながら、いつものように口の上手い佐藤は明るく楽しそうに話をしていましたが、身体が動く度に浴衣の前がはだけて行き、とうとう股間の男根が丸見えになるのでした。

(私に言わせれば、この事は最初から佐藤が計算しつくしたことで、わざと母に見せながら母の反応を窺っていたのでしょう。)

佐藤の男根は半立ちの状態でしたが、赤黒くえらを張って血管を浮き上がらせたそれは父の男根より一回り以上もたくましく今までに見たことも無い立派な物だったと言います。

始めはチラリチラリと見え隠れする男根を、ドキドキしながら盗み見ていた母でしたが丸見えになったときはさすがに顔が赤くなって喉がからからになり頭の中がボッとなり何も考えられなくなりました。

佐藤はその時を待っていたのでしょう、いきなり母の右手を掴むと自分の方に引き寄せ男根を握らせたのでした。

突然手を引かれた母は、佐藤の方に倒れこみそうになり、慌ててそこにあるものを掴んだら佐藤の男根だったのでした。

母が「ハッ」と思ったときには、佐藤に肩を抱かれ身動きできない状態で唇を吸われ、佐藤の舌が母の唇の中に入り込もうとしています。

母は思わず顔を振り「だめよ、だめ!やめてください!」と拒もうとしましたが、佐藤がガッシリと身体を抱え込んでいるため動くことが出来ません。

「サッチャンいいじゃあないか、わしは前からサッチャンのことが好きでたまらなかったんだ」

そう言うと佐藤は、右手で母のプリーツスカートをまくり上げパンティーの上から女唇をさすり上げるのでした。

すでに母の女唇は濡れていてパンティーに染み出しており、それを佐藤に知られるのが恥ずかしい母は、手で払いのけようとしますが男の力にはかないません。

「ほほーほら、もうこんなにオマンチョが濡れているじゃあないか?え?サッチャンもしたかったんだろ?」

「いや、いや!お父さんにしかられます!もう止めてください」

「なーに、黙っていりゃあわかりゃーしないよ。・・・それによっちゃんだって、あっちでいい女と毎日うまい事やってんだから」

後で解かることですが、佐藤は母を口説き落とすために父が浮気をしていると嘘を言ったのでした。

そしてこの後、佐藤は母に会う度に父が浮気しているとささやき続けるのでした。

「えっ?本当ですか?」

しかし母にとってその言葉は衝撃的でした。

父に限って浮気をするとは考えても居なかった母です。

一瞬気が緩んだ隙に佐藤は母の唇にキスをすると、手をパンティーの中に入れ、直に母の潤った女唇の中に指を入れるのでした。

「な、な、だから一回だけ、一回だけでいいから、なっ、ないしょで、な、分からないから」

そう言って佐藤は母の女唇を愛撫しながら、クリトリスを擦るのです。

久しぶりの快感に母は思わず「あんっ」と仰け反るのでした。

その時まで久しぶりに見た男の男根に女唇を濡らしていた母でしたが、さすがに佐藤とセックス(当時は、まだセックスと言う言葉は一般的に使われていなかったようで、性行為のことは「性交」とかこのあたりの田舎では、単純に「おまんこする」とか「一発やろう」と言っていたそうです)するとは夢にも思っていなかったそうですが、「夫が浮気している」と言う佐藤の言葉で母の心の貞操が、崩れてしまうのでした。

その時になって母は、無意識に握っていた男根が、一段と硬く太くそして熱く脈打ちだすのを感じたのでした。

『お父さんも楽しんでいるのだし一回だけなら・・・ないしょなら・・・』

・・・と言う思いが頭の中をよぎると同時に、佐藤の愛撫によって付けられた体の中を焦がす淫炎は、もう消すことが出来なくなっているのでした。

そうして何も考えられなくなった母は、自分から舌を佐藤の口の中に差し入れるのでした。

佐藤の愛撫が激しさを増してゆきます。

母はあまりの気持ちよさに思わず「あっ、あー」と仰け反り右手の男根を上下に擦るのでした。

「ほほーサッチャン、後から後からお汁が溢れ出てくるよーいいかー久しぶりかあー?」

「あっ・・あっ・・だめ、だめよ」

そう口では言ったものの身体は熱く佐藤の愛撫に反応してゆきます。

佐藤の指が「クチュクチュ」と卑猥な音を出す頃には、とうとう母はノースリーブのブラウスの前ボタンを自ら外して、ノーブラの豊満な乳房をさらけ出して佐藤の唇の前に持ってゆくのでした。

「ねー・・ねえー・・・一回だけよ、ねーやくそくよー・・あん・・いっかいだけよーー・・ああん・・・」

佐藤が母の敏感に勃起した乳首を舌で転がすように吸い上げる頃には、久しぶりの快感にもう何も考えられなくなっており、パンティーをいつ脱がされたのかも判りません。

気が付いたときには、畳の上に寝かされ佐藤が上から身体を抱きすくめてその太く凶暴な男根を、母の女唇にメリメリと入れようとしている所でした。

「あっ、いっ・・いたいー・・だめっ・・・だめよっ・・・太すぎて入らないわっ・・あっ・・いたいー・・・こわれちゃうー・・きゃーっ・・・あうん・・ふー・・あんあんあーー・・いいーー」

佐藤の太い鎌首の部分が入ったとたんに今までの痛みが嘘のように消え代わりに今までに味わったことの無い内臓をかき回されるような快感が、全身を包み込むのでした。

「あん、あん、いい、いい、ああー・・ああ・・・もうっ・・もうだめ!だめー!いくっ・・んあん、あ、あ、あー」

久しぶりのセックスの為ばかりではなく、初めて味わう佐藤の太い男根の刺激に母は「あっ」と言う間に一度目の絶頂を迎えました。

しかし、そんな母をお構いなしになおも佐藤は母の女唇を貫き続けます。

オルガスムスの余韻に浸る間も与えられず、佐藤に責めさいなまれるうちに母の女唇は、又アクメの階段を上り始めるのでした。

父とのセックスでは、一回にせいぜい一度か二度しか行くことは無くて父もその位で射精しセックスを終わらせる、と言うのが両親のセックスの形で別段それが当たり前と思っていた母にとって佐藤のセックスはその男根のすばらしさ以上の驚異のものでした。

母を何度も何度もアクメの絶頂に追いやっても一向に射精する気配が無く、次々と母に色々な体位を取らせてただひたすらその凶暴な男根を女唇に打ちつけ母の行くのを楽しんでいるようでした。

母も一時、行くことが苦痛に思われた時も有りましたが、それを乗り越えた時に今まで経験したことの無い最高の快楽の世界に足を踏み込んだ気がしたのでした。

母の肉体は、行っても行っても行き続けて、果てしの無いアクメの連続を味わっていたのです。

母が上になった時も気持ちではもうこれ以上は無理で終わりにしたいと思っていても、母の女唇は益々佐藤の男根を貪りたがり、勝手に腰が激しく前後左右に動き、もう自分の意思では止められなくなっていたのです。

あまりの気持ちよさに時間も空間も何もかもがなくなり、いつしか母は夢の中にいました。

母は、その時生まれて初めて快楽のあまり気を失ったのでした。

どれ位時間が経ったのでしょうか。

けだるい気持ちよさの中で目覚めたとき、一瞬今は朝かと思い「はっ」として母が目を開くとそこは見慣れた居間でした。

そして自分が素っ裸で畳の上に寝ていることが判ったときに「ああ、さっきまで佐藤さんと素敵な『おまんこ』していたんだわ」と、甘い気持ちになるのでした。

起き上がろうとしても腰に力が入らず、首だけ回してあたりを見回しますが、すでに佐藤の姿は見当たらずハンガーに吊るしてあった服も無くなっておりました。

佐藤は、気を失った母をそのままにして自分だけ満足するとさっさと帰ったのでした。

その事からも佐藤の薄情さが伺われるのに、単純で浅はかな母は、その後もまったく佐藤の本性を見抜くことが出来ないのでした。

柱時計を見るとすでに三時を回っており「いけない、子供たちが帰ってくるわ」と、慌てて起き上がる母の股間に「どろっ」と何かが流れ落ちるのでした。

見ると母の女唇から白い液が流れ出しております。

「いやあーー!」

頭の中が真っ白になった母は、慌てて立ち上がると風呂場に駆け込み股間を激しく洗うのでした。

一目見て佐藤の精子だという事がわかります。

佐藤はひどい事に中出しをしていたのです。

「・・・ひどい!スキンを着けてくれなかったんだわ!・・・出来ちゃったらどうしよう・・・」

(当時はまだこの辺りの田舎では「コンドーム」とは言わずに「衛生サック」あるいは「スキン」と言ったそうです。)

母は洗濯機に水を張るためのホースを蛇口に付けてその先端を女唇に当てて中まで洗うのでした。

水の冷たさが身体の中にしみてゆきます。

それと同時に言いようの無い後悔と恐怖が起こるのでした。

「・・・赤ちゃんが出来たらどうしよう?・・・お父さんに知られたらどうしよう?・・・」

『離婚』と言う言葉が頭の中をよぎるのでした。

「・・・何て馬鹿なことをしてしまったのだろう・・・」

それからの母は、毎日毎日そのことだけを考えていました。

「7、8、9月には妊娠がはっきりするわ。10月にはお父さんが帰ってくるからその前におろさなくちゃ」

「ああ、でもお盆には、お父さんが帰ってくるし、ばれないかしら?」

母が一人で悩んでいるときも佐藤は、あれから電話一本寄こさないのでした。

でも幸いなことにそれから一週間を少し過ぎた頃生理が始まり母はようやく安心して日々を送れるのでした。

「もうあんな怖いことはたくさんだわ。それに一回きりって約束だから、佐藤さんもないしょにしてくれるわ」

・・・と、はじめのうちは心に誓う母でしたが、根が開けっぴろげで物事を深く考えたり悩んだりしない性質なので、「喉元過ぎれば・・・」の例えのように、夜の一人寝の寂しさに手がつい女唇を触りだすと、頭に浮かぶのは佐藤のたくましい男根とあの日のめくるめくセックスのことなのでした。

そんな母を見透かしたようにその月の終わりに佐藤から電話があるのでした。

子供心に『母と佐藤が浮気していると気付いていた』と前にも言いましたが、その沢山有る理由の一つがこの電話なのです。

佐藤は日頃父や私たちの前で母を呼ぶときは「サッチャン、サッチャン」と愛称で呼んでいました。

ですが、ある時から昼や夜に電話を寄こした時など私が出ると急に取り繕ったように澄ました声を出して「あー、おくさん、いますか?」と言うのです。

本人は明らかに『佐藤』だと判らないように言っているつもりなのでしょうが、佐藤は福島県か茨城県辺りの出身らしく訛っているので、いくら標準語をしゃべろうとしてもイントネーションの違いと、独特の鼻にかかっただみ声で佐藤だと言うことは明白でした。

まだ小、中学生だった私には、浮気だの性交だのと言葉では知っていても自分の両親にはなかなか結びつきませんでしたが、その電話に出た母の態度はいつもの明るさが無く、妙に言葉少なに小声になり私たちに聞かれたくなさそうで、なんとなく秘密めいていて『変だな?』と子供心にも思っていました。

その後、自分が大人になっていろいろ解ってきたときに『そういえばあれはおかしかった。これは変だった。ああ、あのときに母は浮気したんだ』と納得することがたくさんあったのです。

佐藤からの電話は「この間はすまんかったな。お詫びに昼飯でもご馳走するから月初めにT駅の前まで来てくれないか?そのときに給料も渡したい」と言うものでした。

母は一応「この前スキンを着けてくれなかったでしょう?もう心配しちゃったんだからひどい人ね。・・・もうご馳走だけじゃあすみませんからね。・・・それとこの間のことは、絶対ないしょにしてくださいね。お父さんに知られたら離婚させられちゃうんだから」と言ったのです。

母の中では約束どおりもう二度と佐藤とセックスすることは無くて、あの時の事は過ぎ去った二人だけの甘い秘密にしようという思いがあったのでした。

しかし、佐藤はそんな事で済ます気はさらさら無かったのでした。

T駅には佐藤組の事務所があり佐藤にとっては都合のよい場所なのでしょう。

午前11時という約束の時間よりかなり前に母が駅前に行った時にはすでに佐藤が待っていました。

T駅の北口は都市再開発が進み有名なデパートが立ち並んでおります。

その中の老舗のMデパートのバック売り場に母を連れて行った佐藤は、プレゼントするからと母に好きなバックを選ばせました。

母は幾つかの合皮とビニール製のバックを持っており、よそ行き用として一つだけ皮製のバックを持っていましたがだいぶ古くなっていました。

「何でも好きなものを買ってやる」と言う佐藤の言葉に、

「ちょっと高級な皮製のバックが欲しいんだけれど」と遠慮がちにねだったところ、

「サッチャンにはこっちが似合うんじゃあないか?」と鰐皮で出来た茶色のハンドバックを指差すのでした。

当時、鰐皮のハンドバックと言えば今で言う高級ブランド品のバックのようなもので、女性の(まして母のような田舎出の女には)憧れの的だったのです。

もう、そのことで母は有頂天になってしまったのです。

憧れのバックを胸に母は夢の中にいるような気持ちになり、佐藤の後を付いて行きT駅の南口にある高級レストランに連れて行かれました。

当時、南口は再開発が遅れていて飲食店などがひしめき合っていました。

レストランと言えばデパートに在る展望レストラン位しか知らない母にとって、本格的な雰囲気のあるレストランで食事をするなど生まれて初めての経験で、それこそ今で言うセレブな奥様になったような錯覚を覚えるのでした。

このことは、全て佐藤が女を落とす為の常套手段だったのでしょう。

佐藤はどうすれば相手の女が、自分から佐藤の腕の中に抱かれに来るか全て知り尽くしていて、知らず知らずに母の心を虜にしていったのでしょう。

後に父が仲間の人足達から聞いた話によると、佐藤は自分の所で働く出稼ぎ人の奥さんで気に入った人を見つけると、自分の愛人にしたくなる性格らしいのです。

実際に佐藤の毒牙に掛かった人妻は、十人ではきかずに離婚の修羅場を向かえた人妻も片手ではきかなかったという噂でした。

しかし佐藤は、そうしてせっかく愛人(妾)にしてもすぐに飽きて棄ててしまうと言う酷い男だったのです。

後で私が思ったのは、佐藤と言う男は『人妻』つまりは他人の女房を寝取ることが生甲斐の様な男だったのでは無いか?・・・と思えるのです。

ですから、相手が離婚して自分のものになったとたんにもう興味を失い、次の獲物を狙うのだと思えるのです。

そんな佐藤にとって親友の妻である母は、とてもすばらしい獲物だったのでしょう。

そんな噂話を聞いても、父にしてみればまさか昔から住んでいる地元の、それも二十年来の友人の妻に手を出すとは思ってもいなかったのでした。

そんな女を落とすことに長けている佐藤にとって、よく言えば世間知らずで人を疑うことを知らない初心な母、悪く言えば物事をあまり深く考えない開けっぴろげで浅はかな母を垂らし込むことなど、赤子の手を捻るより簡単なことだったのです。

佐藤の思惑通りにビールの酔いも心地よく、夢の続きを見ているような気分になっている母は、買ってもらったバックを胸に大事そうに抱えて何の疑いもせずに佐藤の後を付いてゆき、裏通りのモーテル街の中の一軒へ入ってしまうのでした。

(当時は、一般的に「モーテル」と言う言葉は無く「連れ込み旅館」と言い看板に“温泉マーク”が付いていて、別名「逆さクラゲ」と言った。)

離れ屋にお風呂もトイレも付いていて、当時の連れ込み旅館としては上等な部類だったそうです。

蛇口を捻れば湯船にお湯が出て、シャワーまで付いているタイル張りの明るい浴室に、母は益々セレブな気分になり喜びはしゃぐのでした。

床の間付の前室には小さいテーブルとテレビまであり、半分開いた襖の向こうには赤い上掛け布団を半分めくった床が延べてあり、白い枕が二つ並んでいて、これからここで行われる淫らで淫乱な行為が想い起こされ母は顔が赤くなるのを隠せませんでした。

初めてモーテルに入った母は見るもの全てが珍しく、また淫靡な感じがして興奮しておりました。

もう二度と佐藤と過ちを犯さないと今朝まで硬く誓っていたのに、今では佐藤のたくましい腕に抱かれて「あの素敵なオチンチンでオマンコを貫かれあの忘れられない『おまんこ』を一刻も早くしたい」と思うのでした。

佐藤に促されるようにお風呂に入り、夫以外の男とお互いの身体を洗いあい自然にくちづけを交わし、湯船の中で後ろから抱かれ愛撫されると・・・もうそれだけで母は一度目のアクメを迎えるのでした。

お風呂から出ると佐藤はビールを片手にして素っ裸のままテーブルに座り、素っ裸の母を股の間に座らせて「サッチャン、尺八をしてくれないか?」といきり立つ男根を母の目の前に突き出すのでした。

母は恥ずかしかったけれども前から一度佐藤の太くたくましい男根を口で味わいたいと思っていたので目を瞑り素直に口に含みました。

佐藤の男根は思っていた以上に大きくて、小さな母の口では亀頭部を含むだけで一杯になるのでした。

「おおーいいぞサッチャンうまいぞああーきもちいいーもう少し舌を筋に這わせてくれんか?おおそうじゃ好い気持ちだ。サッチャンしゃぶるのうまいなー最高だなー」

佐藤は母を誉めまくりました。

誉めながら段々に自分好みの女に仕上げてゆくのが佐藤のやり口なのでしょう。

傍から聞いていれば佐藤の思惑などすぐに判りますが、佐藤の意のままになりつつある母にはその時はわからなかったのでしょう。

母は佐藤に誉められる度に嬉しさが込上げてきて、もっともっと佐藤に喜んでもらおうと思ったそうです。

佐藤に誉められるまま竿を舐め、袋を含み、喉の奥にくわえ込んで一生懸命顔を前後させ、佐藤の喜ぶことを積極的に行うのでした。

それから後も佐藤は事ある毎に母に尺八を始め、色々な事を教え自分好みの女に調教してゆくのでした。

「さあー、そろそろ嵌めてやろうかな。サッチャン、ワシの太いチンボが欲しいじゃろ?」

母も早く佐藤の男根を女唇に入れたかったけれどもその前に言っておく事がありました。

「ねー佐藤さん、今日はスキンつけてくださいね、お願いよ、赤ちゃん出来たら困るから」

母は前回、佐藤に中出しされた事に懲りていました。

「ああーそうじゃったな、でもなワシは、あのサックって奴が嫌いでな、やっぱり生で嵌めないとやった気がしないでな。だから今日から、サッチャンこれを付けてくれ」

そう言って佐藤は、自分のかばんの中から箱を取り出して母に渡すのでした。

その箱の中身は『ペッサリー』と言う女性用の避妊具なのでした。

ペッサリーとは、ゴムで出来ていて大きい輪ゴムの太目の輪に薄いゴムがはってありまるでゴムで出来た「フリスビー」か「ベレー帽」の様で、それを女性の膣の中に細長く織り込んで指で入れて子宮口の周りを帽子の様に覆い、精子が子宮の中に入らないようにする言わば女性用のコンドームです。

母も知ってはいましたが実際に手に取るのは初めてでした。

手の平に丁度乗るような大きさのペッサリーを掴むと、絵を見て説明書を読みながら立った状態で片足をテーブルに持ち上げ、股を開き自らの手で女唇の中に入れるのでした。

ゼリーを付けたため比較的簡単に入りましたが、たとえゼリーが無くても「スルリ」と入るほど母の女唇は淫汁で溢れておりました。

それより何より佐藤という夫以外の男の前で自ら股を開き『おまんこ』を楽しむための器具を女唇の中に埋め込むと言う行為自体が卑猥で恥ずかしく、それゆえ益々お腹の底から快感が湧き上がって来るのが感じられたといいます。

佐藤は自分勝手な男ですから自分では避妊するのが面倒だし、生で嵌め精子を中出ししたいが為に常に相手の女に「自分で避妊しろ」とペッサリーを渡すのが常だったのでしょう。

ペッサリーは避妊を自分勝手な男任せにせずに女性が確実に避妊をコントロール出来るという点で優れた避妊法ですし、慣れれば簡単に装着でき、なおかつ水洗いすれば何回も使え(2~3年は繰り返し使える)経済的ですし「ピル」の様に副作用の心配も要らない。

こんなに女性にとっていい事ずくめの避妊法が、なぜ欧米の女性のように(欧米ではコンドームよりもポピュラーな避妊法らしい)日本では流行らないのか?と言うと、ペッサリーを装着する場所が『子宮頸口』と言って膣内の子宮口の周りをぐるっと取り囲む溝にペッサリーのゴムの外枠をはめ込む構造だからで、この子宮頸口はその大きさに個人差があり、自分の子宮頸口の大きさを知るには専門家(産婦人科の医師あるいは助産婦など)に測ってもらい、自分に一番合った大きさのペッサリーを選ばなければならないからです。

・・・にも関わらず、佐藤はそんなことは一切せずに「まあこんなものだろう」くらいの気持ちで、母にいい加減な大きさのペッサリーを渡したのです。

このことは後で、私が母に指摘したところ「へえー?そうだったの?」と言い、全然考えてもいなかったようです。

まぁ、妊娠しなかったところを見ると偶然大きさがあったのか、さもなければ何人もの女性に「ペッサリー」を付けさせた経験から一度自らの男根で味わった膣の中の構造など佐藤には手に取る用に分かったのでしょうか?

いずれにしても浅はかな母はそんなことを一切考えず、これさえ付ければ妊娠の心配をせずに佐藤と思いっきり淫らで素敵なおまんこが楽しめると喜んで付けていたのでした。

しかし、母が喜んで付けていたこのペッサリーこそが、その後、母の浮気の決定的証拠として父に突き付けられようとは、佐藤の太い男根でおまんこすることしか頭に無いこの時の母には思いもよらない事だったのです。

子供心に『母が浮気をしていると気付いていた』理由が幾つかあるとい言いましたが、この『ペッサリー』もその一つでした。

当時私は小学校の四年生でしたが、家の近所に『おさむちゃん』と言う二つ上の男の子がいて毎日一緒に遊んでおりました。

彼の父親は若い頃みんなから『チンピラ』と呼ばれ、『やくざ』にはなりきれない与太者として肩で風を切っているような人でした。

その奥さんで、おさむちゃんの母親の左の二の腕には『◯◯命』と刺青があるような・・・子供心にもすごい夫婦で、世間体など何処吹く風とばかりに昼真からセックスをしているような夫婦でした。

おさむちゃんはそんな両親の息子でしたので、今から思えば小学校六年生でしたが、性にに対しての興味と知識は相当なもので、私を含めて近所の子供たちの今で言う性教育の先生でした。

私も彼から色々な性知識を学びましたが、まだ小学生の四、五年生では身体のほうが付いて行けず、『センズリ』を教わっても、おさむちゃんの様にオチンチンの先から白い液など出ず、ただただ耳学問で終わっておりました。

ですが、その時に見聞きした事が後で重大な事だと解るのでした。

そんな彼がある夏の日、私の家に遊びに来て台所の冷蔵庫の上に置いてあったペッサリーを見つけて、「これはおまんこするときに、女がオマンコの中に入れる女のサックだ」と言って、箱の絵を見せながら教えてくれました。

(今から思うとあまり深く物事を考えない母が、入浴の時にペッサリーを外し、洗ってから浴室を出たところにある冷蔵庫の上に置いて、いつも乾かして陰干しをする事にしていたのでしょう。)

箱の絵は、女性が片足を台の上に上げ、股を開きオマンコに自ら挿入している図と、女性器の断面図が描いてあり指でペッサリーを子宮口に被せる様子が描かれてありました。

四年生の私には、セックスのことはよく解りませんでしたが「おまんこの中はこうなっているんだ」と、妙に興奮したのを夏の暑さと一緒に覚えておりました。

五年生の夏にも冷蔵庫の上に乾かしているペッサリーを何度か見ましたが、その時はすでに箱は無く、ペッサリー自体もなんとなくあめ色に艶が無く、くすんで使い古された様になっていたのを覚えております。

私が高校生になった頃、ある雑誌でペッサリーの記事を読み『そう言えば家でも前に良く見たな』と思い出し、『ああ、あの時母はセックスをしていたんだ』と納得するのでした。

「あれは『おさむちゃん』に教わったんだから、小四か五の時だったな?」

(おさむちゃんは私が小学校六年生の時、台風の次の日に面白がって近所の川へ泳ぎに行って、溺れて亡くなっていました。)

私はその後で重大な事に気が付いたのでした。

私が、小学校四年と五年の時には、父は出稼ぎに行っており、あの夏の暑い日に家には居なかったのでした。

母は一体誰とセックスするためにペッサリーを着けていたのかと・・・。

今日も母は、佐藤の太く凶暴な男根からすばらしい肉体の快楽を思う存分味わわされるのでした。

前回は自宅で、それも母にとっては思いもよらない突然のセックスだったので、自分から楽しむというよりは『佐藤に無理やり犯された』という感じでした。

ですが、今回は最初からセックスを楽しむための部屋で自らも楽しもうという気持ちで佐藤に抱かれる母だったので、最初から恥ずかしい位に大声をあげ乱れるのでした。

「かわいいなあー幸子はほんとに可愛いなー食べてしまいたいよ。ああーいいオマンチョだなー気持ちいいぞー」

佐藤は小柄な母を抱きしめながらその太い男根で母の女唇の中を楽しむようにゆっくりと出し入れするのでした。

母は佐藤の逞しい身体に両腕でしっかりとしがみつき、膣の中を無理やり一杯に押し広げては快感をかき出すように出入りする父のとは比べ物にならない佐藤の男根から湧き上がる震えるような快感に、自らの腰を激しく動かしあえぐのでした。

「あん、気持ちいいわーこんなの始めてよーー!さ、佐藤さんのオチンチン素敵だわーあん、あん、もう、あたし、もうだめになりそうよーー」

佐藤はそんな母をじらすように一段と挿入をゆっくりし母の唇を舐めるようにキスをするのでした。

「可愛いなー幸子は、ワシは幸せ者だーな、こんないいオマンチョに嵌められるなんてもうワシは幸子を放さないぞー、幸子、ワシのチンボはいいだろ?え?どうだ?義男のチンボよりいいじゃろ?」

佐藤はそれまで母を「サッチャン」、父を「よっちゃん」と呼んでいたのに、母がすでに自分の女になった事を確信したのか、母を「幸子」父を「義男」と呼び捨てにするようになったのです。

「ああーーいいーー佐藤さんのオチンチンのほうがすてきーーあん、もうあたしだめになるわーお父さんのよりいいーー!ああん、あたし、佐藤さんのオチンチンのとりこになりそうよー・・ねえ、ねえ、もっといっぱい突いて、もうあたしを行かせてーー!」

母は自分から股を大きく開いて腰を突き出しより深く佐藤のペニスを味わうのでした。

「そうかー行きたいかーじゃあ、思いっきりワシのチンボで狂わせてやるぞ」

そう言うと佐藤は、激しく腰を出し入れし膣の奥まで突きまくるのでした。

「ああん、ああいい、いいー奥まで当たるわーきもちいいーーきもちいいのーーもう、もう、いくーー」

母が行きそうになると佐藤は腰を引いて男根を抜いてしまうのでした。

「あん、いじわるしないでーねえお願いよ、いかせてよーー」

母は、腰をせり上げます。

「いきたいかあ?幸子行きたかったらワシの事をこれから『旦那様』と呼ぶんだ。そうして『幸子は旦那様の女です』って言え」

「あん、だんなさまー幸子は旦那様の女ですーーいかせてー行かせてくださいー」

それを聞いてから佐藤は再び男根をゆっくりと母の女唇に入れるのでした。

そしてゆっくりと出し入れしだすと・・・。

「幸子これからは、ワシの息子をチンボと言え。そいで幸子のここは、オマンチョと言うんだ。解ったな!」

「あん、わ、解りました・・だんなさまーあん、あん、いいーーねえーねえ、もっと・・もっと突いて奥までついてー」

「何を、何処へだ・・ほら、ちゃんと言わないとまた抜いちまうぞ」

「あん、意地悪しないで、オチン・・旦那様のチンボで、あたしのオ、オマンチョ、ついてーー!」

「ようーしワシのチンボで幸子を狂わしてやる、ほら、どうだ!どうだ!」

「ああん・・・いいーーいく、いく、いくーー」

こうして母はこの日二度目のアクメを迎えるのでした。

佐藤は、父と母が長年かけて築いてきたセックスで母に染み付いた癖を、佐藤の男根と言葉による「飴と鞭」で、少しずつ自分好みの女にするために変えさせてゆくのでした。

佐藤は、こうして段々と母の身体や言葉の使い方を自分好みの女に調教してゆくのですが、母には自分が佐藤好みに調教されている意識は無いのでした。

「可愛いなー幸子は、ほんとにかわいいなーーワシは幸せ者だぞ、幸子これから毎日ワシが抱いてやるぞ、うれしいか?」

次に騎乗位になった母を下から突き上げながら、佐藤が母の乳房を愛撫します。

「えっ・・毎日?」

「そうだ。な、明日もまた今日と同じ時間に来るんだぞ、うれしいか?」

「あん、うれしいー、明日も旦那様に抱いてもらえるなんて、あたし、しあわせだわー」

この時の事を母は、父の居ない寂しさを、思いがけずに佐藤が埋めてくれているだけで、別に浮気をしているのでは無く、事ある毎に佐藤が耳元でささやく『父の浮気』の話を疑いもせず信じ込み、「お父さんも他の女の人と楽しんでいるのだから、おあいこだわ」と思っていたそうです。

そうして父が帰ってくれば佐藤と二人で口をつぐんで、知らない顔を決め込んで、また父と普通の夫婦生活に戻れると単純に思っているのでした。

しかし、今日もまた際限の無いアクメの連続を味あわされ失神する母は、佐藤の思惑通りに『もう佐藤無しでは生きて行けない』と思うようになるのに、そう長い時間は掛からないのです。

そして『明日』から、佐藤の母に対する本当の『調教』が始まるのでした。

母と近親相姦の関係になってからすぐに私の自宅で昼間から淫らなセックスを楽しんでいた時「母さんは、親父や佐藤と『SMプレイ』をしていたんだろう?」と母に聞いた事があります。

「えっ・・・そんな事していないわよ」

母は否定しましたが、明らかに動揺しておりました。

私は、この目で母が父と『SMプレイ』をしているところも、佐藤としているところも見ておりましたが、その時は言わずに「母さん達の部屋で俺も『奇譚クラブ』を良く見ていたんだよ」と言うと、母は顔を赤らめ諦めたように私の胸に顔を埋めて「もう・・ジュンは何でも知っているのね悪い子ねー」と言いながら少しずつ話してくれるのでした。

『奇譚クラブ』とは戦後『カストリ誌』『エロ、グロ、ナンセンス』のブームを経て昭和20年後半から30年代にかけ市民権を得て、現在の様に隆盛を誇った当時の『SM』雑誌で、同様の『裏窓』と人気を二分する『SM月刊誌』の先駆けだったのです。

次の日も母は、昨日と同じ時間にいそいそと出かけて行きました。

母は出かける前に風呂場で股を丹念に洗いその女唇の中にペッサリーを埋め込みました。

その事で興奮している母の女唇は、さっき綺麗に洗ったにも関わらず、すぐに変えたばかりの白いパンティーにいやらしい染みを作ってしまうのでした。

佐藤は昨日と同じように、また母を別のデパートへ連れて行き、今日は身体にピッタリとした半袖の白いワンピースを買い与えるのでした。

このように佐藤は、母に会う度に毎回毎回ハイヒールだったり、スカートだったり、シルクのブラウスだったりと、母の喜ぶ物を惜しげもなく買い与えました。

一見母の欲しそうな物を買い与えているようでしたが、その実ハイヒールはとても踵の高いものでしたし、スカートはタイトでスリットの入ったセクシーな物・・・というように母の身に着けるもの全てを佐藤の好みの物で着飾らせるのが狙いだったようです。

しかし、そんな事とは夢にも思わない母は、佐藤の思惑どおりに益々信頼しきって行くのでした。

母の中では、この時自分の欲しい物を何でも買ってもらえて、豪華なレストランで食事をさせて貰って、その上夢のような素敵な『おまんこ』までしてもらえて、この世の楽園にいるような気分を毎日味わっているのでした。

今日の連れ込み旅館は、洋風で前室には椅子とテーブルがあり次の間は、ダブルベッドがあるのでした。

ベッドに寝たことなど一度もない母は、もうそれだけで舞い上がってしまいます。

その上、ベッドの横の壁にはカーテンが引いてあり、それをめくると鏡がベッドの幅一面に埋め込まれていて(当時では最先端だったようです)二人の淫らな行為が映し出される仕掛けになっているのでした。

抱きしめられ貪る様にキスをし佐藤の太い指がパンティーの中に入れられたときには、母の淫汁は、パンティーの股部分全体を濡らしておりました。

「ほほー幸子はもうこんなに濡らして、昨日あんだけ行ったのにまだ行きたりないらしいな。そんなにワシに抱かれたかったか?ワシのチンボが忘れられなくなったか?」

「いや、おっしゃらないでーねえ、汚れているからお風呂に入ってからにしましょうよ」

「汚いもんか。幸子のオマンチョは、とっても綺麗だぞ。どうれワシが舐めてやるから椅子に掛けてみ」

「あん、許して、だめよ!だめ!」

佐藤は母のパンティーを引き下げようとしましたが、あまりの恥ずかしさに母はパンティーを掴み必死で抵抗しました。

それでも引き下げようとするのでついにはその場に座り込んで両手でスカートを押さえ恨めしそうに佐藤を見詰めるのでした。

そんな母を佐藤はうれしそうに見詰めると「ほほー幸子は本当に可愛いなあーじゃがそんなにワシの言う事が聞けなんだったら少しお仕置きしなけりゃな」と言って佐藤は自分の鞄を開けて中から白いロープの束を出しそれを解き二本一まとめに持つと母の後ろに回りこみました。

「幸子は『SM』をした事が有るか?」

「SM?・・・した事ありません」

あまりの恥ずかしさに母は顔を上げられませんでした。

「ほっほーそうか初めてか?そいじゃあこれから幸子を縛ってうんと恥ずかしい事をしてやろうな。きっと幸子も『SM』が好きになるぞ」

そう言って佐藤は母の両手を後ろに組ませると、手馴れた手つきですばやく縛り、そのまま胸の上下に回して後ろで留めると、今度は一本ずつわきの下から入れて胸を縛った上下四本の縄を両方のわきの下で一纏めに絞り上げました。

白いブラウス越しに母の豊満な胸が前に搾り出され乳首が立っているのさえはっきりと解ります。

(当時、母もそうでしたが田舎では、ブラジャーをしない人がまだかなりいました。)

縛り終えた佐藤は母を横抱きにすると、縛られた母の身体を舐めるように見つめると満足そうに

「思った通り幸子は縛るといっそう綺麗になるなあー」

そう言うとブラウスの上からはちきれそうになった乳房を鷲掴みに揉みだしました。

「あん、やさしく・・・やさしくして・・・」

思わず母の口から吐息が漏れ女唇から溢れる淫汁はすでに股まで濡らしておりす。

母は『SM』をした事が無いと佐藤に言いましたが、実は、結婚当初より父とセックスの前技として『SMプレイ』を行っておりました。

父は、母と結婚する前より『奇譚クラブ』と言うSM月刊誌を愛読しており、当然母もその本を愛読するようになりました。

元々好き者の母は、いっぺんでその淫靡な世界の虜になりセックスの度にお互いを縛り、縛られアブノーマルなセックスを繰り広げていたのでした。

しかし父との『SMプレイ』は軽い縛りをする位のソフトなものでしたし、父の中には『サド』と『マゾ』の両方の性根があり、時折母に『サドの女王様』になって父をいじめる事を求めるのでした。

「夫婦とはこう言うものなのね」と言う思いが母にはあって別に気にもせずに淫靡な『SMセックス』の世界を夫婦で楽しんでおりました。

しかし母は『奇譚クラブ』を愛読するうちに、自分の心の中にある『マゾ』の血をはっきり意識するようになってきて・・・。

「もう少し激しく虐められたい」

「この本のグラビア写真のようにサドの男の人からいやらしく辱められたい」

「厳しく縛られ、めちゃくちゃに犯されたい」

・・・と、日頃より思っていたのでした。

それが図らずも佐藤というサディストに出逢ってしまったのです。

佐藤は父とは違い、日頃の優しさの裏には、女を傷つけ苛め抜いて泣きながら許しを請う『マゾ奴隷』を犯し、汚す事で興奮する正真正銘の『サディスト』だったのでした。

そうして母の中に『マゾの血』を見抜いた佐藤は、母を自分好みの『マゾ奴隷』に調教すべくその本性をあらわにしてゆくのでした。

「ふふふ・・幸子は縛られているからもうワシから逃げられないぞ。ふふふ・・これから幸子をワシ好みの『マゾ奴隷』として調教してやろうな」

そう言うと佐藤は、母の後ろに回り母を抱くように抱えると両手でブラウスの胸のボタンで留めた合せ目を掴むと一気に左右に引きちぎるのでした。

ブチブチッ・・・とボタンが飛び、下からシミーズに包まれた乳房が覗きます。

「あっ・・ああー!ひどいことしないで!」

母は余りの事に佐藤を見つめます。

佐藤はそんな母の事などお構いなしに嬉しそうに笑うと、ブラウスを母の肩から無理やり外すのでした。

縛られているので全部脱がすわけにはいきません。

そして次に、シミーズの肩紐も肩から外すと下にズリ下げ、乳房を丸出しにするのでした。

母は自分の縛られた胸を見るのでした。

無残に引き千切られたブラウスの間から上下を縄で縛られて、それによって搾り出された様に突き出た乳房がピンク色に染まって息づいています。

その途端に母の子宮がジン・・・と痺れた様になり、はっきりと淫汁が女唇より溢れ出すのがわかりました。

佐藤はそのあらわになった乳房を、わざと乱暴に鷲掴みにして揉みだし、すでに痛いほど勃起している乳首を、潰すようにつまみ引っ張っては弾くのでした。

「いたっいたいいーーあん、佐藤さん・・いたい・・・やめてーーらんぼうは・・・いたあーーい、あん・・あん・・」

すると佐藤は両方の乳首をつまむと左右に引っ張るように広げて

「幸子!ワシのことは『旦那様』と呼べと言ったろう。それに奴隷の分際で『やめて』とは何だ!『お許し下さい』だろうが!」

佐藤は日頃の優しさからは想像も出来ない強い口調で母に罵声を浴びせるのでした。

「あん、おゆるしくださーいっ、だ、だんなさまあーーあん」

母は佐藤から乳房を乱暴に扱われている内に乳房に痛みを感じてはいましたが、その痛みの中に身体の芯が痺れるような快感が湧き上がってくるのを感じているのでした。

その上、佐藤に罵声を浴びせられる事によって自分が佐藤の『マゾ奴隷』として身も心も奪い取られて征服されてゆくせつなくも甘い被虐感に酔って行くのでした。

「よーし、じゃあ舐めてやるか」

そう言うと佐藤は母を横抱きにして乳房をくわえ込むように口に含むと舌で乳首を転がすように激しく舐めるのでした。

「あっああーーいい、はっはっあーーだんなさまーーあんあんいいーーきもちいいーー」

痛いくらいに刺激された乳首を佐藤の舌で愛撫されると、今度は今まで味わったことのない強い快感が乳房に広がり、思わず母は胸を突き出すように仰け反るのでした。

「ほほー幸子のもだえる姿は色っぽいぞ。やっぱりワシの思った通り、幸子には『マゾ』の素質が有るぞ。かわいいなー、もっともっとワシが『マゾ』の喜びを教えてやるぞ!」

もう母は何も考えられずに佐藤の言いなりでした。

立たされスカートを脱がされパンティーさえも自分から喜んで脱がされるのでした。

そして椅子に浅く腰掛けさせられると、佐藤は別の縄を取り出し母の両足を左右一杯に開き肘掛に『M字』形に縛り付けるのです。

母は佐藤の目の前に自分の恥ずかしい姿を隠すことも出来ずに全てさらけ出すのでした。

(母は私に「あの時くらい恥ずかしかったことは無かったわ」とウットリとした目で言いました。)

今までも父や佐藤に女唇を見られた事はありましたが、それはセックスの途中での事で必然的な事でした。

それが身動き出来ない様に縛られた上で股を一杯に開かされ恥ずかしくても自分ではどうする事も出来ずに女のもっとも隠したい所を、夫以外の佐藤に視姦されるのです。

母の女唇は一目見て男根を物欲しそうにぱっくりと口を広げ、その上自分の卑猥な姿を佐藤に見られることに興奮している証として淫汁を溢れさせているのです。

母がいくら否定しても母の中にある『マゾ』の被虐感が『サド』の責めを期待し、求めている証が一目瞭然に佐藤に伝わるのでした。

佐藤は、着ている服を脱ぎブリーフ一枚になりながら母の女唇を見つめます。

「ふふふ、幸子、なんだこのオマンチョは?え?こんなにグチョグチョにして恥ずかしく無いのかあ?」

佐藤は母の陰毛の上までずり上がったシミーズをさらにたくし上げて下腹部全体が見られるようにしました。

「あーだっだんなさまー。み、見ないでくださいーー。恥ずかしい、はずかしいわーーー」

母は目を瞑って横を向きましたが、母の女唇は別の生き物のように収縮を繰り返し、淫汁を吐き出します。

「そんなことを言ったって幸子のオマンチョはワシのチンボが欲しくて口をパクパク開けているじゃあないか?どうれ、ワシが舐めてやろう」

そう言うと佐藤は母の女唇にむしゃぶり付くのでした。

「ああーん、いいっ、あ、あ、いいーーあんっあん、あ、あ、ああーー」

母は、女唇から全身を貫くように湧き上がる快感に頭の中が真っ白になるのでした。

次に佐藤は中指と薬指二本を女唇の中に入れてかき出す様に愛撫し舌で激しくクリトリスを弾きます。

「ああーん、いいいーーあっあっああっ、もう、もうだめ!いくーー」

先ほどからの刺激で母はすぐに絶頂を迎えますが、母が行く寸前で佐藤は愛撫をやめ、それどころか指でクリトリスをひねり潰すのでした。

「あん、いたーいいーあ、あ、いたあーいー」

快感の絶頂からいきなり地獄の責め苦を味わわされて母は縛られた身体で身悶えます。

その母の姿を楽しむかの様に今度は優しくクリトリスを愛撫する佐藤でした。

「あ、あ、あん、いいーねえ、だんなさまーやさしく、やさしくしてーーあん、いいーー」

こうして佐藤は『責めと愛撫』『罵声と甘言』によって母を、自分好みの『マゾ奴隷』に調教して行くのでした。

「さあーて幸子、そろそろワシのくさいチンボの匂いを嗅がしてやろうな」

そう言うと佐藤は、椅子に縛られたままの母を跨ぐようにしてブリーフを突き破らんばかりに勃起した男根を母の顔に押し付けるのでした。

「どうだ?幸子、ワシのチンボの匂いは、くさいじゃろう?昨日な、幸子に嵌めてからワシのチンボは一度も洗っていないんだぞ、だからとっても臭いじゃろ?幸子、ワシのチンボの匂いをよーく覚えるんだ!解かったな!」

佐藤は、母の髪の毛をつかむと母の顔をブリーフ越しに男根に押し付けるのでした。

母は堪らずに佐藤の臭い男根の匂いを、思いっきり嗅ぐのでした。

それは、すえた様な生臭くいか臭い刺激のあるとても臭い匂いでしたが、それを嗅がされた母は、頭の中が痺れて全身の力が抜けて行き子宮が熱く熱を持って来てそれと同時に女唇から淫汁が益々あふれ出すのを感じるのでした。

(母は「臭かったけど、嫌な匂いじゃあなかったわ。何か『男の匂い』って感じで思わず自分から深呼吸しちゃったわ。『旦那様の匂いだ』って『私だけのために洗わずにいて下さったんだわ』ってとてもマゾヒティックに興奮したのよ。それからは何時も佐藤さんと逢う時は、まず始めに汚れた彼の臭いチンボを『尺八』をさせられたのよ。そうすると母さんの中で『マゾ』の血が騒ぎ出して『ああーもういじめてーー』って気持ちになっちゃうのよ」と回想しておりました。)

その後佐藤は、ブリーフを脱ぎ捨てると再び母の顔に跨り、

「さあ、幸子、ワシのくさいチンボを舐めてきれいにするんだ!」

・・・と、いきり立つ男根を母の口の中に捻じ込むのでした。

母は夢中で佐藤の男根をしゃぶり、舐め回し、くわえ込むのです。

「ふふふ、いいぞ幸子・・・幸子はワシの奴隷だ。奴隷はな、チンボをオマンチョに嵌めて欲しかったらまず始めにワシのチンボを口できれいにするんだぞ。解かったな!幸子の口はワシのチンボを掃除して、気持ちよくさせる為だけの道具だぞ。解かったら返事をしろ!」

そう言って佐藤は母の髪の毛をつかむと気持ちよさそうに男根をしゃぶっていた母の顔を、乱暴に引き剥がすと上を向かせるのでした。

「あっ、は、はい旦那様。解かりましたあー幸子の口は旦那様のチンボをきれいにして気持ち良くなって頂く為の道具ですー!」

母は佐藤から乱暴に扱われ罵られ好きなように使われることに身体の芯から沸きあがる『マゾ』の喜びを感じていたのでした。

それは、今まで感じたことのないそして夢にまで見た『サディスト』から与えられる快楽なのでした。

「ふふふ、幸子はほんとにかわいいなーどれ、ご褒美に嵌めてやろうなー」

佐藤は椅子に股を開いて縛り付けられたままの母の女唇を、その血管の浮き出た男根で思う存分犯すのでした。

「ああーーだんなさまあーーいいーーいいーーあーあーきもちいいーー」

母は今日もまた数え切れないアクメを味わうのでした。

その後、昨日のように裸にされてベッドの上でお尻を高く上げ、後ろから貫かれて居る時も今日の母の両手は、背中で括られ体中を縄で縛られているのです。

しかもその縛りは、母の身体に痕が残らないように気遣う父の優しい縛めとは異なり、母の身体の事など一切考えないでただ佐藤が自分の加虐心を満足させるための厳しい縛りなのです。

そしてそれこそが、母が日頃より渇望していた本当の『サディストの男』による身も心も震える『SMプレイ』なのでした。

そして、その二人の淫らな姿を映し出しているベッド脇の壁に埋め込まれている鏡を、佐藤は母の髪の毛をつかみ無理に見させるのでした。

母は恥ずかしさのあまり泣いて佐藤に許しを請いますが、しかし母の心の中では、「ああん、こうして欲しかったのよーあん、もっと乱暴にしてーーああん、縛られてする『おまんこ』ってなんて素敵なんでしょう?」と、益々『マゾ』の喜びに身を震わせているのでした。

そして今日もまた母は気を失うまで佐藤に弄ばれるのでした。

この年の7月は、佐藤が一気に母を自分の『マゾ奴隷』に仕上げるつもりだったのでしょう。

毎日のように母を呼び出しては『鞭打ち』『ろうそく責め』『浣腸』『張形責め』と、一通りのSMプレイを母に教え込んだのでした。

母も毎日毎日、夢にまで見た素敵なSMプレイを体験し、益々『マゾ』の喜びを知るのでした。

佐藤は東京にいた約二週間のうち、実に9日間に渡って母を呼び出し『SMプレイ』漬けにして、母が佐藤の『女』である事を、その身と心に焼付かせようとしたのでしょう。

1ヶ月の間に9日間佐藤とセックスをしたのは、後にも先にもこの月だけだったようです。

その日に身も心もとろける様なプレイをした母は、帰り際に旅荘よりある物を持ち帰りました。

浅はかで物事をあまり深く考えない母は、その物を父が一目見れば母が浮気しているという確かな証になることにまったく考えが及ばずに、ただ「綺麗だから」「もったいないから」と、その後も佐藤と旅荘に行く度にその物をいそいそと持ち帰り、寝室のたんすの引き出しにしまい込むのでした。

その物とは『枕紙』と呼ばれるセックスの後始末用の『ちり紙』(ティッシュペーパー)なのでした。

当時『ポップアップティッシュ』『ボックスティッシュ』『ポケットティッシュ』などと言う物は無く、全て『ちり紙』と言って四角いティッシュを百枚、二百枚と紙のテープで一纏めにした物が、どの家庭でも置いてあり、それを二枚、三枚と取って鼻をかんだり、トイレにおいて『落とし紙』として使ったりと(トイレットペーパーも一部のホテルなど洋式便所の在る所でしか使われていませんでした)、5~10枚位を四つ折りにしてポケットに入れ、今で言うポケットティッシュのように持ち歩いたりしておりました。

当然、旅荘にも『ボックスティッシュ』など在りませんから、その代わりに『桜紙』と呼ばれるピンクやブルーや黄色といった淡い色の付いた良い香りのする