10月の半ばを過ぎたある夜の事、八時過ぎに家の電話が鳴りました。

「きっと旦那様だわ!」

そう思った母がウキウキと受話器を取ると「おお、幸子か?元気か?」と聞き覚えの無い声がしたのです。

(だれ?旦那様じゃあ無いし「幸子か?」なんてなれなれしいのは誰かしら?叔父さんでもないし???・・・)

「子供達は元気か?」

そのとたん母の頭からスゥーと血の気が引くのでした。

「あっ・・あなた?・なの?」

母にとって今一番聞きたくない人の声でした。

「どう・した・の?」

口の中がからからに乾いてきます。

「ははは、やっとこの飯場にも電話が引けたんだ。これからは何時でも声が聞こえるぞ、ははは」と父が電話の向こうで嬉しそうに笑います。

「ちょっと待って・・・ジュンちゃん、父さんよ」と母は慌てて、嫌な物を捨てるようにそばでテレビを見ていた子供に受話器を渡すのでした。

(どうしましょ?電話が来るなんて・・・これから夜旦那様と会っている時に電話が来たら・・・どうしましょ?・・・)

母の心臓はどきどきと脈打ち頭の中が真っ白になるのでした。

そのうち子供が受話器を切るのを見て

「お父さん、何だって?」

「十円玉が無くなるって。あと日曜日の夜に電話するって」

それから父は毎週日曜日に電話を寄こす様になるのでしたが、母は用件だけ話すとすぐに子供達に受話器を渡すのでした。

父の声を聞いていると何故か母は不安になるのでした。

その事は、母にとって確実に破局が迫り来る前触れのように感じられたからでした。

その証拠にあれ以来、佐藤からの電話は一回も無いのです。

佐藤に会ってさえ居れば安心出来たのに、それさえも出来ずに母は益々不安になるのでした。

10月の終わりになってもいつもの呼び出しの電話はありません。

11月の1日になっても2日になっても佐藤は現れません。

母は毎日、今日は佐藤が来てくれると思い、毎朝自らの女唇にペッサリーを埋め込むのでした。

そうしては夜、入浴の時に役に立たなかったペッサリーを引きずり出し、洗いながら涙するのでした。

母が居ても立ってもいられない気持ちで3日目を迎えた夜に、ひょっこりと佐藤が家に来ました。

玄関に立った佐藤を見た母は、嬉しさのあまり抱き付きたい衝動に駆られますが、子供達の手前それも叶いません。

佐藤はあごをしゃくって母に外に出るように合図します。

佐藤はそのまま納屋の奥の作業場に母を連れ込みました。

その真っ暗な中で佐藤は母に尺八を命じます。

母は喜んで夢にまで見た佐藤の男根を口に咥えたっぷりと味わうのでした。

その後で男根を勃起させた佐藤は、母をテーブルに手を付かせ、いつもの様にスカートを捲りパンティーを引き下ろすと、後ろから荒々しく突き捲るのでした。

久しぶりの快感に母はすぐにアクメを迎えますが、佐藤はそれからも長い時間を掛け母の女唇の奥深くに汚らしい精子をたっぷりと吐き出すのでした。

その上、母が会えなかった理由を聞いても「又、電話する」とだけ言って、佐藤は作業台に給料袋を投げ出すと、そそくさと帰って行ってしまうのでした。

この時のセックスが、この年最後の佐藤との逢瀬になろうとは、この時の母には想像すら出来ないのでした。

佐藤の電話を待ちながら悶々とした日々をすごしていた母ですが、あっという間に半月が過ぎてしまいました。

母が父からの電話が有った時にそれとなく聞き出したところ、前年に群馬のスキー場に設置したリフトのうち二機に不具合が相次いで発生し、『改修』か『架け替え』かと言う緊急の事態が起こり、佐藤はその収拾におおわらわだったのでした。

そのうえ来年着工予定の新潟の仕事が他の業者に取られそうになったりと、11月、12月は次から次へと問題が起こり、佐藤の会社は存亡の危機に見舞われていたと言うことでした。

(私が思うに約半年間に渡って母とセックスばかりしていたツケが、この時、いっぺんに回ってきたのではなかったかと思うのです。)

11月の終わりの父から電話で「佐藤は相変わらず忙しくて東京に帰れないらしい。だから今月の給料を渡せないので郵便為替で送ろうか?」との話がありましたが、幾らか蓄えもあったので父が帰る12月に一緒でよいと母は返事をしました。

しかし母は給料の事よりも今月も佐藤に会えないという事の方がショックでした。

「ああー、旦那様に会いたい!旦那様に会って思いっきり抱かれたい!ああっ義男が帰ってくる前に一度でいいから旦那様に抱かれて旦那様だけの女だと言う事をこの身に焼き付けたい・・・」

母は毎日、一人になると佐藤の事を思い、身をよじり涙を流すのでした。

しかしそんな母の願いも空しく12月も半ばが過ぎ、いよいよ父が27日の夜帰って来る事になるのでした。

明けて28日は、毎年恒例の隣組による餅つきの日だったのです。

この頃、この辺りの田舎では隣近所が協力して暮れの28日に臼と杵で正月用の餅をみんなでつくのが慣わしとなっていたのです。

父はその日に合わせて帰ってくるのでした。

暮れも押し迫って来ると何かと用があり忙しく、立ち回っているうちに母の気持ちも次第に落ち着いて来るのでした。

もともと物事をあまり深く考えない性格の母は、一月半以上も佐藤に会えないで居るうちに佐藤の呪縛が解け掛かって来たのだと思われます。

物事を楽な方へ楽しい方へと流され易い浅はかな母も「一生、義男と会わずに佐藤の女で居たい」と言う絵空事が、現実問題として無理である事を実感せざるを得ないのでした。

しかしそれでも母の中では「義男と今まで通り上手くやっていけるかしら?」「旦那様からの呼び出しがあったら何と言って出かけようかしら?」「でも義男と夫婦として生活は出来そうだけれども出来れば抱かれたくないわねー・・・もし抱かれたら?・・旦那様に嫌われないかしら?」などと思っているのでした。

お正月用の食料やいろいろな物を買ったり揃えたりしているうちに、いよいよ父が帰って来る日を迎えるのでした。

その日は朝から父が帰って来るという事で子供達もはしゃいでいました。

そんな様子を見ていると母もなんとなく心が騒ぐのでした。

「今日は、お父さんが帰ってくるからお寿司を取りましょうか」と、子供達を喜ばせたのも嬉しさ半分、義男の為に手料理を作りたくない気持ちも半分と複雑な思いの母でした。

そして、とうとう夜の七時過ぎ九ヶ月ぶりに父が帰って来たのでした。

その日が母にとって忘れることの出来ない喜びと歓喜、悲しみと絶望がいっぺんに訪れる破滅の日になろうとは、浅はかで淫乱で自分勝手な母には想像すら出来ないのでした。

夜の7時過ぎに待ちかねて表通りまで父を迎えに出ていた子供達のはしゃぎ声と共に父が帰ってきました。

気持ちの整理の付かないまま母が重い気持ちで玄関に出ると、荷物を抱えた子供達の後から父が玄関に立ちました。

「ただいまー」と父が笑顔を見せます。

その父の笑顔を見た瞬間、母の体中の血管が一度に噴き出した様になったと言います。

そこには、あの自分の夫として相応しくない『義男』では無く、紛れも無い正真正銘の本当の自分の夫が立っていたのでした。

今までの不安、恐れ、佐藤への想い『義男』に対する嫌悪感、それら全てを超越した存在がそこに立っていたのでした。

母が忘れていた、いや忘れようとしていたこの世の中で自分が一番大切で、一番愛する男がいたと言う事実を、父を見たその一瞬に心の中から噴き出すように思い出されたのでした。

母が本当に愛した夫が、今帰って来たのです。

母は思わず涙が出そうになりました。

「本物の前では、偽者は全て色を無くす」と言いますが、まさにそれだったと母が言いました。

佐藤への愛情は勿論佐藤と行ってきた身を焦がすような爛れた『SMセックス』。

そして面白いことに佐藤との浮気の中で作られ、巧みに母の気持ちの中にすり込まれていった浮気者でずる賢く、不誠実で卑しい、母の夫として相応しくない『義男』と言う虚像の夫が、佐藤との間に作り上げられた架空の人格であった事も、一瞬のうちに気付くのでした。

そしてそれら全てが、父と言う本物の夫の前では、虫けらのように取るに足りない、そして母の気持ちを揺るがすほどの価値も無い「くだらない事として思えた」と言うことでした。

単純で浅はかな母は、今まで自分が行ってきた夫への裏切り行為などきれいさっぱり忘れて父にしがみ付くのでした。

「おいおい・・」と父は子供達の手前おどけて見せますが、嬉しそうでした。

「はい、給料・・」

そう言って父が始めて自分の手で母に二ヶ月分の給料袋を渡しました。

何も考えられずに父にしがみ付いていた母は、その給料袋を手にした途端に今度は全身の毛穴から冷や汗が噴き出し、立って居られない位に血の気が引くのを覚え、とうとう目から大粒の涙が溢れ出すのでした。

母は涙で霞む目で給料袋を見つめるのでした。

「自分の馬鹿さ加減がその時初めて解かったの」と母は自嘲気味に寂しく笑いました。

「給料はお父さんが働いたから貰えていたのよ。そんな当たり前の事が解らなかったのね。それまで母さんは佐藤さんから給料を貰っていたと本気で思っていたのよ。だから佐藤さんを頼りに思う何分の一かは、佐藤さんに給料を貰って親子三人養って貰っているって言う思いがあったからなのね」

母は佐藤との破廉恥な浮気の数々を思い出していました。

そして「何であんな、夫を裏切るようなことをしてしまったのだろう?」と今度は声を出して泣くのでした。

「あらら?母さんよっぽど給料が嬉しいらしいね。2ヶ月分だから重いだろう。・・・なあ、もう家の中に入れてくれてもいいんじゃあない?」と父が笑いながら言いました。

父は単純に久しぶりに会えた事で母が嬉しいのだと思ったのでしょう。

居間に皆で入り父が床の間を背に座るが早いか、子供達が父のお土産の入った袋を開けて中身を取り出し、嬉しそうに歓声を上げました。

この時の事は私もよく覚えており、久しぶりに見た父はとても逞しく見えました。

お土産は私に戦車のプラモデル、釣りの好きだった兄には五本繋ぎの釣竿でした。

私に買ってくれた戦車のプラモデルはリモコン操作が出来る確か千円位した物だった記憶があり、いつも自分の小遣いで買う三十円か五十円のプラモデルを作って喜んでいた私は、兄と一緒に有頂天になって喜んだ記憶があります。

そして母は何故か泣いてばかりいたのを覚えております。

しかし、どういうわけかそれから何日も何日も事ある毎に、母は私達子供に隠れて一人で泣いていたのをかすかに覚えていました。

そんな時にあんなに幸せそうだった父が、とても不機嫌だった事を思い出し、今更のように納得するのでした。

父はお土産の入った袋を探り、一包みの箱を取り出すと無言で母に手渡すのでした。

母が包みを解いて箱を開けるとそこには、布製の刺繍の入った白いハンドバッグが入っていたのです。

母はその可愛らしいハンドバッグを両手に持った時、手が震え、またしても大粒の涙が頬を伝い落ちるのです。

そしてバッグを胸にかき抱き今度は大声を出して泣くのでした。

「あれれ、今日の母さんは可笑しいね、泣いてばかりだ」と、父は幸せそうでした。

しかし、その時の母はそのバッグの白さが胸に突き刺さるようだったといいました。

愛する、そして何も知らない父からバッグを貰った時、母はすぐに佐藤が買ってくれた鰐皮のハンドバッグを思い出したのでした。

一度目の過ちは、佐藤に犯されたようなものでした。

しかし二度目は、佐藤から憧れの高価な鰐皮のバッグをプレゼントされた事もあり、夢見心地になった母が自分から佐藤に抱かれたのでした。

そしてずるずると坂を転がり落ちるようにそのまま佐藤の女として調教され、愛する夫を裏切り、果ては本当の夫を嫌悪し、佐藤こそが自分のたった一人の愛する男と思い込まされたのです。

佐藤の呪縛から解放された今の母には、自分の淫乱さ浅はかさは棚に上げて、あの佐藤から貰った鰐皮のハンドバックこそが諸悪の根源であるとの思いがしたのでした。

そして値段的には、鰐皮のバッグの十分の一位の値打ちしか無いであろう父の買ってくれた白いバッグが母にとってかけがえの無い愛する人からの清い贈り物として何物にも変えがたい宝物と思えるのでした。

そしてこの清らかな純白のバッグを胸に抱いていれば、今までの爛れた醜い佐藤の『調教』によって汚された母の体が、清められ元の幸せな夫との生活が送れると思うのでした。

「お父さん、今日はお寿司だよ!」

「ほうーそりゃあ豪勢だなー」

父と子供達の声に我に返った母は、

「お父さん、その前にお風呂に入ってくださいねえ。お酒の仕度をしておきますから」

・・・と、出前のお寿司以外に何にも手料理を作っていなかった事を思い出した母は、一旦父をお風呂場に送り出してからそそくさと台所に立つのでした。

父の好物のニラレバ炒めとしょうが焼きを手早く作り、いくつかの肴を小皿に並べると親子四人でコタツを囲んで久しぶりに楽しい九ヶ月ぶりの食事をするのでした。

風呂上りのさっぱりとした父の横にぴったりと寄り添った母は、熱燗の徳利で父にお酌をします。

そうして母はついこの間までこうして佐藤に肩を抱かれながらお酌をしていた時の事を思い出すのでした。

「何であんな馬鹿な事をしたんだろう?あんな人を愛しているなんて本気で思っていたなんて・・」

顔を赤くして嬉しそうに杯を開ける父を見ながら母は胸が痛むのを感じておりましたが、根が浅はかで楽しい方へ楽な方へと流されやすい母は、今は父だけがたった一人の男、自分のかけがえの無い夫であるという事を思い起こし、「今日からはいつも一緒に居られる」と幸せを感じているのでした。

そして自分が行ってきた浮気の事などとうに忘れて、愛する夫と今夜出来る久しぶりのセックスに期待し、顔を火照らすのでした。

片付け物を終わらせて新しい酒とつまみの小皿をお盆に載せ父に持たせ、夫婦の寝室に先に行っていてもらい母は風呂に入ると入念に体を洗うのでした。

脱衣所で体を拭いた母は、この後で大変な間違いを犯すのでした。

久しぶりの夫婦のセックスに舞い上がった母は、父が喜ぶだろうとあの佐藤から貰って佐藤が一番喜んだ卑猥で淫乱な下着を嬉しそうに身に着けるのでした。

ガーターベルトに網ストッキング、乳首が飛び出すスケスケのブラジャーに黒いレースのスキャンティー、そしてお揃いの赤いスケスケベビードール。

「パンティーの薔薇が目立たないわー・・パイパンになる訳にも行かないし」

鏡の前に立ちこれも佐藤から仕込まれたセクシーポーズを決めてみて「この姿を愛するあの人が見たらきっと旦那様のように喜んでくれるわ・・・今夜はうんとサービスしちゃおっと・・・」と、自分が佐藤から仕込まれた男を喜ばせるテクニックを夫にすれば「あの人も、きっと喜んでくれるわ」と、浅はかな母は自分勝手に考えているのでした。

そんな事をすれば父がどう思うかなど今の母には思いもよらない事なのでした。

さすがにいきなりこのままの姿で父の前に立つのは恥ずかしいので、パジャマを上から着て先ほどから片時も手放したくない父の買ってくれた『白いバッグ』を胸に抱き、いそいそとお勝手から納屋の二階の夫婦の寝室に続く階段を踊るように駆け上がるのでした。

階段の上の踊り場で一呼吸整えた母は障子戸を開けて満面の笑みを浮かべて石油ストーブで暖められた部屋に入るのでした。

幸せの絶頂にいた母が、その場の重く険悪な空気に気付くまで少しの時間が掛かるのでした。

そこには、母にとって死ぬほど辛い悲しみと絶望と後悔と懺悔の日々が待っていたのでした。

父は、部屋の奥の北側に置かれた箪笥の前に敷かれた布団に尻を乗せ胡坐をかくように座っておりました。

母が部屋に入っても微動だにしません。

母が何か変だわ?と思いつつも父に近づき声をかけようとしました。

「おとうさ・・・ひっ!」

その時、母は心臓が止まるほどの衝撃を目の当たりにしたのでした。

父の座っている辺り一面に淡いピンクや黄色やブルーのビニールに入った桜紙が散乱しているのに気が付いたのです。

勿論それは、佐藤と痴態を繰り広げた旅荘からいつも母がいそいそと大事そうに持ち帰っていた枕紙だったのです。

その時の父の気持ちはみなさんにも容易に想像できると思います。

久しぶりに家に帰り愛しい家族と食事をして幸せな気分で寝室に赴き、9ヶ月に及ぶ禁欲生活を終わらせて、今夜は久しぶりに愛する妻を抱けると心躍らせて母が来るのを待っていたのでしょう。

「おお、そうだ『スキン』を出して置こう」と考えたのは当たり前だったでしょう。

そして、コンドームの入れてある箪笥の上の小引き出しを開けた時に、その中に大事そうに仕舞い込んであった大量の枕紙を見付けた時の気持ちは恐らく目の前が真っ暗になり、何も考えられずに、そしてその後に身を震わせる悔しさと怒りが込み上げてきた事でしょう。

無言で立ち上がった父は箪笥の前に立ち、二つある開け放した小引き出しの一方を荒々しく掴むと母の前に中身をぶちまけました。

幾つかの小物と一緒にビニール袋に入ったピンクや黄色やブルーの枕紙が散乱します。

「なんだ!これは!」

父の顔が怒りに真っ赤です。

「ちがうの・・・ちがうのよ・・・」

母はもうどうしたら良いのかわかりません。

「何が違うんだ?!・・・俺の居ない間に誰とこんな所へいったんだ?!」

「違うの!誤解よ!本当に何もしていないのよ!信じて!」

母は、何とかこの場を誤魔化す事が出来ないか?そればかりでした。

「何もしていないだと・・・ふざけるな!・・・じゃあこれは何だ!?」

父はもう一つの小引き出しから小箱を取り出すと、父に近寄ろうとしていた母を押し止めるかのように投げ付けました。

父が投げ付けた箱は、母のお腹に当たり畳に転がります。

その勢いで箱の中身のゴム製のペッサリーが飛び出すのでした。

それは、何時も佐藤とのセックスのときに母が喜んで自らの女唇を濡らしながらその中に埋め込んでいた物でした。

それを見た母は、もう到底言い逃れが出来ない所まで来てしまった事に今更のように気付き、目の前と頭の中が真っ白になりその場に崩れ落ち畳に突っ伏して大声で泣くのでした。

「誰だ!・・相手は誰なんだ!?・・え?誰と寝たんだ!?」

父の声は益々大きく怒りを含んできます。

母は泣きながら「どうしよう?どう言ったらお父さんに許してもらえるだろう?」と、いつもの様に目先の事ばかりを考えているのでした。

そして「あなただって、あっちで浮気をしていたんでしょ?・・・」と、佐藤から吹き込まれた話をするのでした。

「浮気だとー!誰が言ったんだそんな事!・・・だいいち、酒屋に行くのも車で三十分以上かかる山ん中に女なんか居るわけ無いだろ!・・誰だ!誰が言ったんだ!」

その時、母は

(やっぱり旦那様は嘘を言ったんだわー!あたしを抱くために嘘を言ったんだわーどうしましょ!お父さんはそんな人じゃあないのに・・・。それなのにあたしはお父さんを裏切って・・・。)

母は今日父を久しぶりに見たときから父が浮気などしない男だと解っていたのに、全ては母に浮気をさせる為の佐藤の嘘だと言う事が解っていたはずなのに、浅はかな母は何とか父の怒りを静めようとして返って怒らせることばかり言ってしまうのでした。

「誰だ?ええ?誰が言ったんだ!?・・・どうせそいつに言いくるめられてそいつと寝たんだろ?・・・相手は誰なんだ!?言え!」

母はもう大声を上げて泣くしかありませんでした。

「言いたくないならもう良い。・・出て行け!今すぐ此処から出て行け!・・・そいつの所へでも何処へでも出て行け!」

父の怒りは益々募ります。

「いやー!お願いゆるしてーあなたー許してよー!謝ります謝りますから出て行けなんていわないでー」

「許してだー?・・ばかやろー!こんな事許せるわけ無いだろ!・・誰なんだ!?言え!」

「ゆるして旦那様よ、旦那様があなただって『あっちでいい女と、上手い事やってる』って言ったのよ」

「『旦那様』だとー?お前はいつから俺の他に『旦那』が出来たんだ!?」

母は知らず知らずに父の気持ちを逆撫でするのでした。

「ああっごめんなさい佐藤さんよ!佐藤さんが言ったのよ・・・ゆるして・・」

「佐藤だあー!!・・・お前はっ・あんな爺に抱かれたのかー!!・・・ばかやろー!!・・あいつがどんな奴だか、お前だって知ってんだろ!・・あいつは女を見りゃあ、端から手を出す・・・」

父はその場に座り込みました。

「お前は、お前は佐藤が言ったからって信じたのか?えっ?佐藤の言う事は信じて俺は信じられないって言うのか?第一俺が浮気をしたからってお前もしてそれで許されると思っているのか?えっ?じゃあ、俺が泥棒したらお前も泥棒するのか?俺が人を殺したらお前も人を殺せるのか?それで世間様が『ああ、仕方が無いな』って許してくれるとでも思っているのか?」

父は段々悲しくなって来た事でしょう。

相手が佐藤だと知った瞬間に父は全てを悟ったんだと思います。

何故、佐藤が自分を頼りにして重要な仕事を任せたのか?

自分を仕事に縛り付けて今日まで家に帰さなかったのか?

それは、二十年来の信頼がおけ頼りになる友人だからではなくただ単に妻に逢わせたくない、出来るだけ長い間妻と引き離しておく為だったのだと思い当たったのです。

そもそも佐藤が自分を仕事に誘った時から佐藤は、妻を寝取る下心があったのでしょう。

そうとは気付かずにまんまと仕事を引き受けた自分に腹が立ち、そして佐藤の誘いに簡単に乗って浮気をした母が許せなかったのでしょう。

母はただ畳に頭を擦り付けて泣くだけでした。

いったんは気が抜けたように座り込んだ父でしたが、その時になって母がパジャマの下に何か着ていることに気が付いたのです。

「何を着てるんだ?・・・下に何を着ているんだ!?」

おそらく畳に頭を擦り付けて泣いている母のパジャマの首筋から下に着ていた赤いレースのベビードールが覗いていたのでしょう。

その父の声に母はハッとしました。

自分がパジャマの下に卑猥な下着を着ていることを思い出したのです。

それは佐藤が買ってくれてそれを着た母を抱くときに佐藤が喜んだ下着でした。

そして先程も風呂から出て「旦那様も喜んでくれたんだからお父さんも喜んでくれるわ」と一人合点に着たものです。

そのままでしたらあるいは母の思惑通りに父も喜んだかもしれませんが、今は、それ所ではありません。

ハッとした母がパジャマの首筋を抑えて後退りします。

こんな下着を今の父に見せたらどんな事になるのか?

さすがの浅はかな母にも想像が付くのでした。

一旦は気が抜けた様になっていた父の顔が又、赤く怒りを含んできます。

そして母に掴み掛かるとパジャマの上着を脱がそうとしました。

「いや、いや」

母も必死に抵抗しますが、母が上を脱がされまいと畳に身を横たえた瞬間に父の手が、今度はパジャマのズボンをつかみ一気に引き降ろしたのでした。

「なっ何だ?これは!・・・おい!何て物を着ているんだお前は?!!」

そう言いながら上着も無理やり脱がされました。

もう母には抵抗する気力もありません。

「いやっ見ないで・・お願い」

弱々しく手で胸を隠しながら母は畳に体を丸めて泣くのでした。

「何でこんなイヤラシイ物を着ている?」

「あなたが、あなたが喜んでくれると思ったのよ」

「喜ぶだとーそんなもん佐藤が喜んだんだろー!」

「お前が買ったのか?・・・お前が買ったのかと聞いてんだよ!」

怒りに狂った父は母の髪をつかみ引き起こしました。

「だんなさまよ・・・佐藤さんよ。佐藤さんが買ってくれたのよ。ごめんなさいあなた許して。本当にあなたが喜ぶって思ったのよ」

「ばかやろー!佐藤に喜んで抱かれた物で俺が喜ぶとでも思っているのか!お前はこんな物ばかり買ってもらってあいつを喜ばして抱かれたのか?」

「違うわー服だって靴だってバックだって色々買ってくれたのよー・・・だからあたし・・だから・・・ごめんなさいあなたもうしないから許して」

「ばかやろー!買ってもらったから抱かれただと?・・そりゃあ売春婦のやる事だろ?お前はいつから淫売になったんだ!?」

父の怒りは頂点に達していたことでしょう。

母は言い訳をすればするほど父を怒らしてしまう事にもう泣く以外どうすることも出来ないのでした。

「あたしって本当に馬鹿なの」と母はその頃を思い出しては苦笑います。

今でこそ笑い話で済まされますが、当時は余りにも酷い自分の馬鹿さ加減に「死んでしまいたい!」と本当に思ったそうです。

簡単に佐藤に騙された事もそうですが、私に言わせれば自分の中の浮気をしたい淫乱の性が、丁度よく誘ってくれた佐藤の言葉に自ら進んでのめり込んで行ったのだと思うのです。

そうでなければ父が言うように父が浮気をしたからといって、自分もしようとは普通の主婦は思わないはずです。

佐藤との浮気の証拠になるような物を、家に持ち帰えったり、浮気相手に買ってもらった物をこれ見よがしに飾っておくなど、常識的に考えれば出来ないし、してはいけない事のはずです。

父が帰って来るまでの母の気持ちは、「佐藤の女で居たい」と本気で思っていたとの事でした。

私が思いますに浮気をした自分の行為を正当化させるために自分自身の中にある父への愛を封じ込め『義男』と言う架空の人格まで作り、自分の破廉恥な浮気を正当化して信じ込もうとしていたのではなかったか?・・・と思うのです。

そして浅はかで単純な母は本心から信じ込んでしまったのでしょう。

その為、佐藤との浮気は誰にも隠す事は無い純粋の愛だと言う思いがあり、しいては夫に知られて離婚させられても良いとさえ思っていたのでした。

ですからあえて浮気の証拠を家に持ち帰っても平気だったのだと思うのです。

「お父さんにばれたら離婚して佐藤さんの『お妾さんになればいいんだ』って思っていたのね・・・馬鹿でしょう?」

そうなればそうなったで良いきっかけだという気持ちがあったのでした。

ですが母が一番に馬鹿だったと思うのは、浮気をして佐藤にのめり込んだ事は仕方が無かったが、父が帰り、父への愛に目覚めた時になぜ直ぐに浮気の証拠を隠さなかったのか?・・・と言う事だったのでした。

「あの時すぐに隠しておけばお父さんにばれずに済んだと思うのよ。その時間もあったのにあの時はもうお父さんに会えたことが嬉しくって、そして抱いてもらいたくって舞い上がっていたのね」

「でもその時はばれなくてもその後で佐藤から呼び出しがあったらどうしたのさ?」

「うーん、やっぱり浮気を続けていたわね。・・・お父さんを裏切り続けていたでしょうね・・・そして、やっぱりばれたわねえー・・・。あたしじゃあ隠し通せなかったわねー、結局あの時ばれたのが一番良かったのよ」

母が下を向いて泣いていると、その前に父が立ち、母が大事に胸に抱えていたあの白いバッグをもぎ取りました。

母がハッとして父を見上げると、父が片手に父が買ってくれた白いバッグを、もう片手に佐藤が買ってくれた鰐皮のバッグを持って見比べておりました。

鰐皮のバッグは箪笥の上の目立つ所に置いてあったのです。

母はまたしても父を怒らすことになってしまったと青ざめるのでした。

「これもあいつが買ってくれたのか?」

父の顔は赤を通り越して青くなっていてもう母はまともに見ることも出来ません。

「『これもあいつが買ってくれたのか?』と聞いてるんだよ!」

「いやー怒らないであなたごめんなさい・・・一番初めに買ってもらってそれで・・あたし・・・あたし嬉しくって・・・それで・・・ごめんなさいあなた許して・・・」

母は泣くのも忘れて先の見えない恐怖に体を震わせていました。

「こんな高いものを買ってもらったから嬉しくってあいつの女になったんだな。あいつは金持ちだからさぞいい思いをさせてくれたんだろ?お前は、俺がこんな安物を買ってきて内心じゃあ馬鹿にしていたんだろ?あいつにいつも高い物を買って貰ってたお前が、こんな安物で喜ぶわけ無いって、喜ぶ振りして陰で笑っていたんだな?・・・」

そう言って白いバッグを、母の目の前で小刻みに振って見せます。

母はもう言葉が出ません。

否定をしたいのにそれすら出来ないのです。

そう思われても仕方が無い事をして来たのですから。

言い訳をすれば、また夫を怒らせるだけだと解るのでした。

ただただ激しく首を横に振るのみでした。

母の目から再び涙が溢れます。

「ちきしょう俺はなんて言う馬鹿なんだ。お前達の為に一生懸命汗水垂らして働いてやっと家に帰って見りゃあこのざまだ。お前が喜ぶ顔が見たくて買って来たこのバッグも、お前の大事な『旦那様』の買ってくれたバッグと比べられちゃあ・・・嬉しくもなんともねえ安物の出来損ないだったな。こんな安物を押し付けられちゃあお前もさぞかし迷惑だったろう。そんな事も気付かなった俺が悪かったよ」と、父が自分をせせら笑うように言うのでした。

「違うの・・違うのよ・・私が馬鹿だったのよ、許して、ねえ許して。そんな物貰って喜んで・・・ああーどうしたらいいの?・・」

母にとって父がどんなに大切な夫か、父から買ってもらったバッグがどんなに嬉しいか、佐藤との浮気を今どんなに後悔しているのか、父に聞いて貰いたいのにその言葉も出ない母でした。

「もういい!!お前は旦那様から買ってもらったお気に入りのバッグを持って出て行け!!」

そう言うと父は鰐皮のバッグを母に投げつけました。

バッグは母の肩に当たり目の前に転がります。

「ひっ!」

母は悲鳴を上げるのでした。

目の前のあれ程大事で気に入っていたバッグが、今となってはとてもおぞましくて見るのも触るのもいやで汚らわしい物に見えるのです。

父は、自分が母のために買って来た白いバッグを持ったまま北側の窓を開けると「ちくしょう!」と叫び外に向かって放り投げるのでした。

それを見た時に母は絶望感で死んでしまいたくなるのでした。

自分が散々夫を裏切ってきて出来るなら佐藤の『妾』になりたいと今日の今日まで真剣に思っていたのに、浅はかで単純な母は生の夫を目の当たりにして、あっと言う間にそれこそ長い夢から覚めたように夫への愛に目覚めたのでした。

そして自分がして来た夫への裏切り行為は棚に上げて、今まで通り幸せな夫婦生活が送れると自分勝手に思い込んでいたのでした。

佐藤の呪縛から解放された今、改めて考えてみれば『佐藤の妾になる』と言うことは、たった数時間の『SMプレイ』で得られる肉欲の快楽と引き換えに、今まで積み重ねてきた夫婦の幸せ、これから先にずっと続くであろう何十年間にも及ぶ幸せな家族の生活を捨て去る事だったのです。

夫との十数年間に及ぶ夫婦生活中で感じた夫と暮らす幸せ、子供達と一緒の幸せ、隣近所、親戚付き合いで感じる幸せなどが全て合わさった掛け替えの無い幸福の時間。

そればかりか、その幸せの時がこの先何十年間も続く人生を捨ててまで、一時の快楽に身を委ねていたいとは、いくら浅はかで単純な母でも比べる事さえ有り得ない馬鹿げた事だと今更のように気付くのでした。

そうしてあの白いバッグこそが、その大切な夫の変わらぬ愛の証のような気がして、自分の中では何物にも変えがたい世界中で一番大切な物に思えていたのでした。

それを図らずも夫の手で窓の外に捨てられたのです。

自分が蒔いた種とはいえ、母は愛する夫に自分自身が捨てられたような気がしたのでした。

「ちくしょう!許しちゃあおかねえ」

怒りで全身を震わせた父が急に部屋を出て行こうとしました。

「何処へ行くの?ねえ、あなた行かないで!」

あまりの突然の事に危険な空気を感じた母が止めると

「佐藤の家へ行ってくる。許しちゃあおかねえ!あいつをぶんなぐってやる!」

「やっやめて!お願いだからやめてよ!」

母は必死で父にしがみ付き止めようとしました。

「お前はそうやってあいつを庇うんだな?そんなにあいつが好きなのか!?ええっ!!俺なんかがどうなろうともあいつの事がそんなに心配か!?お前にとってあいつはそんなに大事な男だったのか!?」

そう言われて母は、またしても父の気持ちを逆撫でしている事に気が付くのでした。

「そうじゃあない!そうじゃあないの・・あたしが愛しているのはあなただけよ・・・ねえ、あちらには奥様がいらっしゃるのよ奥様に、奥様に悪いわ」

「ふざけるな!!奥さんが居るだと!その奥さんに顔向け出来ねえ事をしたのは、何処のどいつだ!俺はあいつに女房を寝取られたんだぞ!あいつのお陰でこの家はもうおしまいだ。あいつの家もぶち壊してやる」

父はそう怒鳴ると階段を急いで降りてゆきました。

母にはもうどうする事も出来ませんでした。

ただいくら浅はかな母でも今、確実にこの幸せな暮らしが音を立てて壊れてしまった事だけは解るのでした。

放心状態で不思議にあれ程溢れていた涙さえ出ません。

母にはこの先どうなるのか?

考えられませんでした。

いや、考えたくなかったのでしょう。

ただ何と無く散らかったこの寝室を父が戻る前に綺麗にしておかなくてはと思うのでした。

散らかった小物を小引き出しに仕舞いましたが、さすがに枕紙を入れる訳には行きません。

押入れにガラクタを入れていたりんご箱が有った事を思い出して、その中にしまいましたが鰐皮のバッグを入れたときには、さすがに後悔で涙がこぼれるのでした。

自分があの卑猥な下着を着ている事も思い出して、慌ててりんご箱に脱ぎ捨てるのでした。

素っ裸になった母は、箪笥の下着の入った引き出しを開けて今更ながらに愕然とするのです。

引き出しの中には、赤やピンクや黒、黄色や紫など色鮮やかな下着が溢れています。

そこには、いつの間にか佐藤から貰った卑猥な下着で一杯なのでした。

そんな下着を今更着るわけには行きません。

夫の更なる怒りを買うことは必定でした。

奥の隅にやっと一枚ナイロン製のブルーのパンティーがありました。

それは母が以前買ったもので、夫との暮らしの中では一番エロティックなものでしたが、佐藤とのセックスでは野暮なものに映りここ半年ばかり穿かれる事は有りませんでしたし、もう少しで佐藤の好みに合わせるために他のズロースやネルのパンティーのように捨てられるところでした。

下着を着けシミーズを着てパジャマを着ると母は、父のバッグを探しに裏山へ出るのでした。

寝室の微かな明かりの中でもそのバッグは白く輝いています。

しゃがみ込みバッグを胸に抱くと暮れの夜の冷気と一緒にその白さが胸に突き刺さるようで母は声を出して泣くのでした。

もう全て終わりです。

今頃は、佐藤の家で夫が暴れていることでしょう。

明日になれば町中の噂になり、母はこの家から出て行かなければならないでしょう。

母はつい今朝まで夫に浮気がばれたら佐藤の『妾』になればいいのだと単純に思っていました。

それは深く物事を考えない浅はかな母の考えていた事です。

単純に佐藤とのめくるめく『SMプレイ』によってもたらされる肉欲の快楽の時が永遠に続くと思っていたのです。

しかし冷静になって考え直してみれば一日24時間『セックス』をしている訳にはいかないのです。

佐藤との普段の生活をするとしたら?

あのいやらしくて傲慢で醜く年老いた浮気物の佐藤の世話をしなければ成らないとしたら?

母はその現実を目の当たりにして体中に悪寒が走り、嫌悪感で身体を震わせるのでした。

浅はかな母は、今まで一度もそんな事を考えていなかったのでした。

佐藤との浮気の中で一晩共に過ごしたりした時などに母は佐藤と時折夫婦のような感覚になり、幸せを感じることがありました。

でもその事を思い返せば、非日常の出来事だから感じた感覚なのでした。

つまりそれは、お遊びの『オママゴト』をしているようなもので、夢の中の楽しい時だけを経験しており、嫌になったら現実の日常に戻ればよかったのです。

いつでも戻れる家族と一緒に暮らしている幸せな日常があったからこそ、たまにする『オママゴト』が楽しかったのです。

しかし今、母はその超えてはならない一線を越えてしまったのです。

いつでも戻れると思っていた家族との幸せな暮らしが、音を立てて崩れ去ってしまったのです。

母はこのままでは、佐藤の『妾』になるしか方法が無いのかもしれません。

しかしその事は、あの醜くずるがしこく、いやらしくて母の事を『性欲処理』の道具としか思っていない、傲慢で年老いた佐藤の日常の世話をしなければならないという事なのです。

一時与えられる『SMセックス』による肉欲の快楽以外は、地獄の苦しみと懺悔と後悔の日々が続く事は火を見るより明らかです。

そして、自分の力では生きてゆく事が出来ない母のその行き着く先は、今まで佐藤の『妾』になった何人もの女のように、佐藤に飽きられ捨てられて場末の売春宿にでも売られ、果ては見ず知らずの男達に好きなように汚辱される日々を永遠に送らなければならないかもしれません。

そして夫や子供達との幸せだった生活を思い出し、母は懺悔の涙を流すのでしょう。

群馬の女将の言った「自業自得」と言う言葉が身に沁みるのです。

愛する夫と子供達と生活する幸せを捨ててまで、佐藤と一緒に暮らすなんて・・・。

母は冬の夜の寒さなど及びも付かない桁外れの悪寒に体中を振るわせたのでした。

「神様、どうかお助けください。私はどんな罰でも受けます。たとえ一生涯『おまんこ』が出来なくてもかまいません。どうかこの家に居させてください。夫と子供達のそばに居させてください」

母はありとあらゆる神、仏に泣きながら祈りました。

そして自分が犯した不貞を悔いるのでした。

母が家に戻り、あてもなく玄関にひざまずくと冷え切った床の冷たさが、身にしみました。

母は絶えず自分の犯した不貞を思い出しては悔いていました。

どうしてあんな佐藤に抱かれたのだろう?

どうしてあの時きっぱりと断れなかったんだろう?

あの時、やめておけば・・・あの時行かなければ・・・と、次から次へと後悔が襲います。

そんな時、またしてもあの群馬の旅館で女将から言われた言葉が重く響くのでした。

「あんたの様に社長の妾になった人を、何人も見ているけど結局ろくな事にならないし最後には社長さんにも捨てられて家族の元にも戻れず可愛そうなくらいよ。まあ自業自得って言えばそうだけれどもね」

「いやー!いやーだー!いやーよーー!!」

母は身をよじり泣くのでした。

しかし全て遅いのです。

泣いても泣いても取り返しが付かないのです。

母は本心で『死にたい』と思いました。

夫に捨てられたら『死ぬしかない』とさえ思っているのでした。

どの位時間が経ったでしょう。

足音が聞こえ、程なく玄関の引き戸が開き憔悴しきった父が入ってきました。

父は母を睨んだようですが、母は父に何か罵声を浴びせられるようで、うなだれていた為分かりませんでした。

父は出がけに寝巻きの上に羽織ったジャンパーを脱ぎ捨てると、そのまま何も言わずに寝室へ向かうようだったので、母も慌てて後を追うのでした。

寝室に入った父は、タバコを吸っています。

母は部屋の隅でうなだれていました。

母はもう夫に何を言われようとも誠心誠意謝って、この家から出て行く事だけは許して貰おうと思っており、その為なら何でもする覚悟で居たのです。

「あいつ居なかった・・・ちきしょう留守だった・・・」

父が苦いものを吐き出すようにつぶやきました。

その言葉に母は、一縷の望みが見えたような気がするのでした。

どうやら佐藤は家に居なかったようで、言い換えれば父は佐藤を殴るどころか文句も言えなかったようです。

つまり、騒動は起こっておらず近所の噂にもなってはいない事のようでした。

もしかしたら明日は出て行かなくてもすむかもしれません。

私はそこまで話を聞いて母は本当に『運がいい』と思いました。

いい変えれば『悪運が強い』と言ったほうが良いかもしれません。

でも、話を聞くうちに、その事で私達子供達も助かったのだと思うようになったのです。

佐藤一家は(その事は、その年だけの事だったのか、毎年の恒例行事だったのかは解りませんが)その前日から家族中で佐藤の生家の近くの温泉旅館に、暮れから新年にかけて保養に行っていて留守だったのでした。

怒りに任せて佐藤の家に行った父は、怒りをぶつける事も出来ずにそのまま駅前の赤提灯で飲んで来たのでした。

その事で父は頭を冷やし冷静に考えられるようになったのだと思います。

「佐藤が戻るまで離婚は待ってやるから正直に答えろ。いつからだ?」

母はもう誠心誠意答えるつもりでした。

「7月・・・いえ、6月です。一回だけ犯されたんです。信じて・・あたしそんな積りじゃあなかったんです」

「犯された?・・・じゃあ何でその時、警察に行かなかったんだ?」

「ごめんなさい。あなた・・あなたが浮気をしているって言うから、・・・」

「浮気をしているって言われて何で犯されるんだ?本当は自分から抱かれたんだろが?」

「ごめんなさい一回だけのつもりだったのよ。無理やりだったのあたしも寂しかったのよ」

母はまた泣き出すのでした。

どう言ったらあの時の気持ちを、夫に怒られずに伝えられるか?

目先の事しか考えられない浅はかな母は、この期に及んでそんな事を考えているのでした。

しかし本当にあの時は一回だけのつもりっだたのです。

それで止めておけば、こんな事にはならなかったのにと、またしても悔やまれるのでした。

「嘘付け!毎日抱かれたんだろ?あの紙の数を見りゃあ解るんだぞ!」

父は旅荘から母が持ち帰った枕紙の事を言っているのです。

母はまた『何であんなものを後生大事に持ち帰ったんだろ』と悔やむのでした。

「ほんとよ。6月は一回だけよ」

「じゃあ、7月からは毎日なんだな?」

「毎日だなんてしてないわ」

「じゃあ何回したんだ?」

「覚えて・・いないわ、でも毎日じゃあないわ・・・」

「覚えられない位やったってことだろ!ばかやろ!・・・それでこの部屋でもやったのか?」

「・・・・・・」

母はすすり泣くだけでそんなむごい事は答えられません。

「なんていう事を、お前は俺達の部屋で他の男に抱かれてそれで何とも思わないのか!?」

母は益々夫にすまない気持ちになり大声で泣くのでした。

「この布団で抱かれたのか?」

父が夫婦の布団をバンバンたたきます。

「いやっいや、違うの、二人の布団は使ってないの本当よ信じて。客間の布団を使ったのよ」

「じゃあ、客間でも抱かれたっていう訳か?」

「違うの、違うのよ、此処と居間だけよ・・・あっ、あと・・お勝手でも・・・」

母としては出来れば話したく無い事なのに父に誤解されたくないと言う思いで次々としゃべってしまうのでした。

「もう良い!・・・聞いているだけでヘドが出る。またにして今日はもう寝る」

母はやっと解放された気持ちになり、ほっとするのでした。

しかし、そんな母に父は悲しい事を言うのでした。

「お前は客間で寝ろ。俺はもうお前と一緒には寝れない。・・・お前も好きなあいつの手前、俺とは寝たくないんだろ?だから、これからは毎日あいつに抱かれた布団で、あいつの事を思って寝るんだな」

それを聞いて母は、堪えていた涙がまた溢れるのでした。

「ごめんなさい・・・ゆるして・・・」

母には、もうその言葉しか出ませんでした。

確かに父の言う通り母は今日の今日まで「出来れば夫に抱かれたくない。旦那様の女で居たい」と思っていたのです。

そして、はからずもその思いの通りになったのでした。

しかし今の母には、その事が辛く悲しくはあれ喜ぶ気持ちなど微塵も無いのでした。

「早く、出て行け・・・それから明日は、餅つきだがいいか近所には悟られるなよ。こんな恥さらしな事、みんなに知れたらいい笑いもんだ。『信州屋』になっちまうからな。いいか、しばらくは何も無かった事にするからな、佐藤にも俺が知っている事は喋るんじゃあないぞ。いずれほとぼりが冷めた頃にお前にはこの家から出て行ってもらう。その時はあいつにも目に物を見せてやる」

父の怒りは収まっては居ませんでした。

一時の激情からは頭を冷やしましたが、その事で怒りが静まった訳ではなかったのでした。

冷静に考えた父は、このまま激情に駆られて事を大きくしたら世間の笑いものに成るばかりか、しいては、数年前に隣町で起こった『信州屋騒動』の二の舞いになると言う思いがあったのです。

父はしばらくは何も知らない振りをしていて、頃合を見計らって母には離婚と言う罰を、そして佐藤には恥をかかせ社会的制裁を加える手立てを考えようとしたのでした。

ここで『信州屋騒動』について書きたいと思います。

この事はこの辺りの田舎では有名な話で、どちらかと言うととてもスキャンダラスな話なのです。

私の子供の頃の話なのでリアルタイムには知りませんでしたが、あまりの破廉恥なことに私が大人になってもついこの間の出来事のように語り継がれていて私自身、半世紀近くたった今でも隣町の『信州屋』の前を通るたびに「ここの奥さんはねえ・・・」と、もうすでに曾孫のいるお婆さんになったであろう人の話をまるで昨日の事のように話したくなる、まぁ田舎では稀有な出来事だったのです。

それは、隣町に『信州屋』と言う小さな蕎麦屋が有ったことから始まります。

先代が無くなってから三十を幾つか過ぎた独身の息子とその母親で切り盛りしておりましたが、その店に近所の主婦が手伝い(今で言うパートタイマー)に来ていて御多分に漏れるずその息子と出来てしまったのです。

そこまででしたら普通の不倫話(当時のこの辺では『よろめき話』といったらしい)ですのでいくらこの辺が田舎とは言え良くとは言わなくても聞く話です。

しかし当時、そう言ういわゆる不倫の関係になった男女は、世間の目を気にして手に手を取って二人の事を誰も知らないよその土地へ出奔すると言う世間で言うところの『駆け落ち』をするのが常でした。

しかし先代から続く店がありその上年老いた母親が居たために二人は『駆け落ち』することが出来ずに女の方が、一方的に家庭を捨て『信州屋』に転がり込むと言う事になったのです。

まあ此処まででしたら男の方は独身ですしまあ世間がうるさくても別に無い話ではありません。

しかしそれが、近郷近在まで知れ渡るような“スキャンダル”となったのは、その主婦の家と言うのが、同じ町内のしかも隣組で『信州屋』の斜向かいの家だったからです。

『信州屋』の隣の奥さんに言わせれば、

「昨日まで前の家の奥さんだった人が一晩たったら今日は左隣の家の奥さんになっていた」

・・・と言うような話がまことしやかに囁かれて、世間の好奇な目や非難の声は後を絶ちませんでした。

奥さんの別れた元の夫は、公務員で近所でも評判の優しくまじめな人で、その事からも奥さんを悪く言う人は多いのにそれ以上に世間の人が怒ったのは、彼女には小学校に上がったばかりの可愛らしい女の子が居たからでした。

その可愛い盛りのわが子を捨てて男に走った淫乱で恥知らずな女として、あからさまに罵声を浴びせる人もいれば「捨てられた女の子が『信州屋』の店先を泣きながら覗いていた」などと言う話も伝わり、一時『信州屋』は村八分の状態だったと言います。

しかし、目と鼻の先の家に可愛いいわが子を捨てて男に走るよう様な女と、それを平気で受け入れる男ですので、世間からどう言われようがカエルの面にションベン、馬の耳に念仏のごとく、少しも臆することなくその厚顔ぶりで、店先で乳繰り合っているうちに程なく不倫中に出来た子供も生まれました。

何を言っても堪える様子も無い二人に世間も呆れ果て、言っても無駄とばかりにあからさまの非難や罵声はやんできました。

その代わりに世間の好奇の目に晒されたのは、寝取られた元夫のほうでした。

最初こそ同情していたものの、最後にはいろいろ噂する人が出てきました。

何を言われても自分の事なら我慢していたのですが、子供に対してもあからさまに『淫乱女の娘』などと陰口をたたかれると、根が真面目なだけにさすがに耐えかねてとうとう家屋敷を売り払い何処かへ引っ越してしまったのでした。

原因を作った加害者が平気な顔で生活を続けて、被害者のほうが居た堪れずに出て行かなければならないと言う不条理な事件なのでした。

そう言う事も近所にあったので、もしもあの時、父が佐藤の家に怒鳴り込んでいった日に佐藤が家にいたならば・・・もしかしたら母はすぐに離婚され、世間で噂されて、私達子供は世間の好奇な目にさらされ、肩身の狭い思いをしていたかもしれないのです。

そういう意味でも、母の『悪運』に感謝しなければいけないのかもしれません。

頭を冷やした父はこの『信州屋』のことを思い出し、『信州屋』の男の様に・・・いや、それ以上に厚顔で図々しく恥知らずな佐藤には、通り一遍等な常識を言っても少しも応えず、かえって下手に騒ぐと自分はおろか子供達にも辛い目を見させる事にもなりかねないと、此処はしばらく様子を見て『佐藤が困ることを見つけよう』と考えたと、後に父が母に言ったという事でした。

夫婦の寝室を追い出された母は、客間に行くわけもいかずに居間のコタツで夜を明かすのでした。

客間には佐藤と寝た布団の他にも布団はありましたが、今客間で寝たらそれこそ父との縁が切れそうな気がして、それだけはどうしても出来ない母でした。

母にとっての救いは、とりあえず今日の今日離婚させられる事はなさそうですし、何事も無かったように他人の前ではいつもの仲の良い夫婦を演じることを夫から言われている関係上、たとえ嘘でも人様の前では夫が母を妻として扱ってくれることが嬉しいのでした。

翌日の近所総出の餅つきのさなかも前の家の奥さんが「サッチャン顔色が悪いわよ、どこか具合でも悪いの?」と、夕べ寝ることの出来なかった母を心配すれば、「何言ってんのよ、久しぶりによっちゃんが帰ってきたから一晩中励んでたに決まってんじゃない」と別の奥さんがみんなを笑わせます。

そんなこんなで、ただでも忙しい師走なのに久しぶりに父が帰ってきたということで朝から夜までひっきりなしにお客が来たりして、忙しく働いているとその時だけは、嫌なことを忘れられる母でした。

しかしお客が帰って夫と二人だけになると萎縮して夫の顔をまともに見られない母なのでした。

その頃の母は、一人になるといつも泣いていましたし、夫の前ではいつも謝っているのでした。

さすがに居間のコタツでばかり夜を明かしていると子供達が不審がるので、夫の許しが出て夫婦の寝室で寝るようになりましたが、相変わらず夫は話もしてくれず背中を向けて寝てしまいます。

母は絶えず懺悔し、夫が寝てから布団に入り、夫が起きる前に布団から出るようにしていたと言うことです。

この頃の事を母はあまり喋りたがりませんでした。

毎日が死ぬほど辛く、悲しい時が過ぎて行く様だったと言います。

夫に冷たくされても夫の事を嫌いになれれば少しは気持ちが楽になるだろうに、時がたつにつれて近所の人や夫を慕ってやってくる沢山の友達に囲まれている夫を見ていると嫌いになるどころか、こんなに沢山の友達から慕われている自分には過ぎた夫に対して自然に涙が出てくるほど愛おしさが溢れてくるのでした。

そんな夫を裏切り、一時とは言え他の最低な男に心を移した自分が情けなく汚らしく思えて、独りになると懺悔の涙を幾度も流すのでした。

当然の事ですが、夫には佐藤と『SMプレイ』をしていたなどと言える筈も無く、ましてや佐藤から『マゾ奴隷調教』を受けていた事など一言も言っていないし、また言える訳も無く、夫が佐藤とは普通の浮気の関係だと思い込んで居る事を幸いに母は口をつぐんでいれば全て上手く行くように思っているのでした。

そうして根が浅はかで物事をあまり深く考えられない単純な母は、寝ている夫の背中に頬を寄せているとこのまま静かに時が過ぎて行けば自然と夫の怒りも解け、また幸せな夫婦に戻れると思っているのでした。