一流ホテルの寿司屋のカウンターで寿司を摘みながら二人で楽しくお酒を飲むと、夫とでは決して味あえないであろうセレブな奥様に成った様な高揚した気分を、久しぶりに佐藤が母に味あわせてくれるのでした。

浅はかで単純で淫乱な母は、先ほどの夫との幸せな一時の事など綺麗に忘れて、一刻も早く佐藤のたくましい男根で貫かれたいと思うのでした。

「ああん・・旦那様ー・・今夜は思いっきりあたしにお仕置きしてくださいねー・・・あたしがいくら泣いて『やめて!』って叫んでも決してやめないでねーーおねがいよー・・・今夜は・・・旦那様の気の済むまであたしをいじめてねーー・・・そして・・・そして・・・さいごはご褒美に・・ね?・・・ご褒美に旦那様の太いオチンボであたしのオマンチョを楽しんでね・・・」

佐藤の腕にしな垂れ掛かった母の瞳は、すでに淫乱の炎が赤く灯っております。

勘繰ってみれば、無理に夫を東京駅に送って来たのも、場末の食堂でラーメンを一口しか食べなかったのも、全てその後で佐藤と逢瀬をするためにあらかじめ佐藤と打ち合わせが出来ていたのでしょうか?

佐藤はいつかの様に一晩中母の体を好き勝手に凌辱しても、次の日の新幹線と特急を使えば前の晩に出発した父達より一足先に富山の現場に行けるのですから。

ホテルの部屋に入ると二人は、今までの溝を埋めるかのようにそれこそ貪る様に破廉恥で淫乱な『SMプレイ』を繰り広げるのでした。

素っ裸で後ろ手に縛られた母はさっきまでの『引き回しプレイ』で付けられた犬の首輪をしたままベッドに転がされているのです。

両足を一杯に広げるように佐藤に開かされ『まんぐり返し』のポーズを取らされています。

母の股間はすでに微塵の陰りも無く白く綺麗に剃毛されておりました。

赤く充血していやらしく口を開いた女唇が母の目にも丸見えです。

「ああーだんなさまーお願いです・・早く、はやく奴隷妻のいやらしいオマンチョをいたぶってくださーい」

途端に佐藤の口が、舌が激しく母の女唇を責めるのでした。

二人はこの夜、飽くことを知らずにお互いの体を求め合うのでした。

淫乱な母は愛する夫を送り出したその日、ついに家に帰ることは無かったのでした。

二人が浅い眠りから目覚めたのは次の日のお昼近くでした。

いつもの様に小遣いを貰った母は、これもいつものように新宿へ出て買い物をするのでした。

いつもと違ったのは、真っ先に夫の下着を買ったことで「これからはお父さんにもおしゃれしてもらわなくっちゃ」と白いブリーフを買ったのでした。

この下着を始め色々とこまごまとした物を出稼ぎに行った夫に今年はその都度送ってあげようと思う母でした。

「まるで戦地に行った夫に『慰問袋』を送るみたいだわ・・・」

そんな母は佐藤から教わった『春唄』の中に戦地にいる夫に慰問袋を送る妻の歌があったのを思い出すのでした。

「♪出来る事なら送りたいー私の大事なものをー慰問袋で送りたいーー『まんちょの缶詰』おくりたいーー♪・・・うふふふ・・ああっ・・本当に送れる物ならあたしの『オマンチョの缶詰』を送ってお父さんに楽しんでもらいたいわー」と思う母でした。

家に帰ってから寝室に上がると、今日、新宿で買って来たフォトスタンドに夫の写真と母と二人で写っている写真を二枚飾りました。

「あなた・・・よく見ていてね」

母の中で何かが弾けたようだったと言うことでした。

その夜十一時近くに、子供達が寝静まったのを確かめて母は入浴を済ませました。

脱衣室で母は久しぶりに飛び切り淫乱な下着を着けてみるのでした。

白いレースのパンティーは股の部分以外ほとんどが、レースで縁取られたゴム紐で出来ていて最小限にデルタから股の下に続く小さい三角形の部分もシースルーで透けております。

何よりも普通の下着ならどんなに小さく卑猥なパンティーでも股の部分は布地が二重になっているものですが、このパンティーにはそれすら無く薄く透けた布地一枚のため剃毛された女唇が丸見えなのでした。

このパンティーは女が普段に穿く為の物ではなく、男に見せて挑発させ、脱がさせる為に穿くものなのでしょう。

臍までしかない御揃いの白いレースのベビードールは胸のブラジャーの肩紐と乳房の周りを三角形に囲むレースの紐は有るものの、肝心の乳房を包むパットの部分が無いため豊満は母の乳房がポロリと出ております。

「なんてイヤラシイんでしょ・・・ふふふ・・あなた見ててね・・・」

母はそのままの格好で電気を消した台所を通り、階段を上って寝室に入りました。

寝室の中はこれも今日買って来たピンクの笠が付いた枕スタンドで部屋全体がピンク色に染まり、淫靡な雰囲気を醸し出しておりました。

「あっあの人の匂いだわ・・」

かすかにタバコのにおいが鼻を付きます。

母はいそいそと布団にもぐりこむのでした。

「おまたせ・・・」

すでに素っ裸になり、うつ伏せでタバコを燻らせていた佐藤がタバコをもみ消すと母に覆いかぶさってきます。

二人はお互いの舌を吸いあい、唾液を味わい力一杯抱き締め合うのです。

「あん、ああーいいわー」

佐藤の唇が母の豊満な乳房を舐め上げ太い指ですでに濡れ濡れで勃起したクリトリスをさすると母は堪らず仰け反るのでした。

こうして二晩続けてのセックスが始まったのでした。

佐藤は今日の朝一の新幹線で富山へ向かう予定でした。

そうすれば前の日に夜行で出かけた父や他の社員達に追いつける筈だったのです。

しかし、予定を変更してまで佐藤がこの家に泊まったのは淫乱な『マゾ』の快楽に久しぶりに目覚めてしまった母が飽きることを知らずに、更なる激しい『サド』の責めを求め続けたからでした。

母はまるで何日も砂漠で迷った旅人が偶然にオアシスに巡り合えてその水を飲み喉の渇きを貪欲に癒し続けるように、佐藤の責めを尽きる事無く求めたのでした。

その挙句に一晩だけでは満足出来なかった母が、富山に行こうとした佐藤を無理に引き止め自宅に招きいれたのでした。

淫乱で浅はかで自分勝手な母は、あれほど泣いて夫にすがりながら硬く約束した『浮気は月に一度だけ』と言う夫との約束を、夫を見送った二日目には早くも自分から破ってしまうのでした。

そうして、二晩母の体を堪能した佐藤は、次の日の昼過ぎに新幹線と特急を乗り継いで、父より一日遅れで富山の現場に着くのでした。

私が母の浮気に気付いていた理由の一つに、この佐藤のタバコがあります。

父は二年連続で出稼ぎに行きましたが、次の年からは友達の紹介で『T自動車』に就職し、工員としてサラリーマン生活を送ることになるのです。

もともとお酒好きの父は外で飲む機会も多く、その際の車の処置に困っていたので思い切ってこの機会に母に運転免許を取らせたのでした。

そのため母は36歳で車の運転免許を取ったのでした。

今でこそ、男も女も運転免許を持っているのは当たり前の世の中ですが、当時は男の人でも免許を持っていない人も多く、母の年代の女性で車の運転が出来るのは稀でした。

そしてそのずーと後の話なのですが、私は高校を出ると地元の信用組合に勤めました。

そして一年経った時に初めて自分で車を買ったのでした。

家から職場まで歩いても十分程でしたが、車通勤して駐車場に鍵を付けっぱなしにして置いておいたのです。

(当時このあたりの田舎は家に鍵を付けないくらいですので車の鍵も付けっぱなしが当たり前でした。)

そんな時、時折母は自転車で駐車場にやって来ては、私の車を勝手に乗り出して近所の奥さん連中と買い物に行ったり物見遊山に行ったりしておりました。

そのほとんどが、私の知らない間に使って返してあったため、私が追求しないのをいい事に自分勝手な母は、だんまりを決め込んでいたのです。

しかしそんな中で私にも母が黙って乗り出したのが解る日が、月に一度位の頻度であったのです。

それが車の灰皿に残されたタバコの吸殻なのでした。

私はタバコを吸いません。

その為、誰かが車の中でタバコを吸ったら直ぐに分かるのでした。

そのうえ浅はかな母は、証拠となるタバコの吸殻を片付ける事など思いもよらなかったのでしょうか?

そのまま灰皿に放置してありました。

母の友達の奥さん連中や母が車に乗せて送るような親しい人の中でタバコを吸う人が居ない事を私は知っていました。

ただ一人、佐藤を除いては・・・です。

そのうえ、そのタバコを吸ったのが佐藤だと特定できるのには訳がありました。

それはその吸殻のタバコの銘柄が確か『ルナ』と言う品種で、独特の臭いがある事を私は佐藤が私の家に来たときに知っていたのでした。

いつも私の車の灰皿に残された吸殻が『ルナ』だったのでした。

またある時、こんなことも有りました。

同じ職場の後輩が、休暇を取り彼女とデートをしたのです。

次の日に職場に現れた後輩は、私を見つけるとニヤニヤ薄ら笑いを浮かべてこう言ったのです。

「だめだよ、順次さん。モーテルなんか行っちゃあ・・えへへ」

「なんだよ?いきなり俺がそんな所行く訳ねえだろ?」

「また、また隠したってだめだよ。ほら、昨日俺と◯子が『◯◯荘』へ行ったら順二さんの車が先にあったじゃあねえの・・・」

『◯◯荘』とは隣町の山際にあるこの辺りでは古くからある有名なモーテルでした。

「俺たちが三時間やって出てきたらまだ居るじゃあねえの・・・一体何時間すればいいのよ?呆れちゃうね・・・」

「馬鹿言うな、俺は昨日仕事だったのはお前も知ってるだろ?俺じゃあねえよ」

私が行っていないのは事実でしたので、そう言ってよく似た車の見間違いだと誤魔化しましたが、私には母と佐藤がモーテルでセックスを楽しんでいたことが今更のように分かるのでした。

4月になり仕事が始まると、父と佐藤は富山の現場で忙しく働きました。

10日程が過ぎて仕事もどうやら順調に進み始めると、佐藤が『ちょっと一週間ほど東京へ行ってくる』と出かけました。

ピンと来た父が丸一日ほどして佐藤が着いたであろう頃に家に電話を寄こしたのでした。

そろそろ子供達も子供部屋に上がって寝る時間の頃で、お勝手で片付け物を母がしていたときでした。

「あら!お父さん!元気?・・どうしたのこんな時間に?」

「おお、幸子か佐藤から電話は無かったか?」

「ううん、無いわよ、どうしたの?」

「うん、佐藤が昨日東京に行くと言ってそっちへ行ったんだ。もうそろそろ付く頃じゃあねえかと思ってな。おそらくお前に会いに行くつもりだろうから、分かっているだろうな?」

「うふふ・・分かっているけど・・あなた、本当にいいの?あたしがあの人に抱かれても?嫌いにならない?」

「うん、お前が俺との約束を守るならば仕方がねえな。お前の淫乱な『マゾ』の気持ちを満足させるためにはあいつに抱かれるしかねえんだろ?お前ももうしたくて疼いているんだろ?スケベだからな・・・」

「いやん!・・もう、知らないから・・・じゃあもし誘われたら一日だけ楽しませてもらうわね・・・でもあたしが浮気をしたからって絶対に嫌いになっちゃあ嫌ですからね・・絶対いやよ!お願いよ・・・あなた、愛しているわ・・・」

・・・と、母は受話器を置くのでした。

その直ぐ後で母は急いで寝室へ向かうのでした。

久しぶりに夫の声を聞いて、体がどうしょうも無く熱く疼いております。

まるで夫が直ぐ近くで見ているようで母の中にある『マゾ』の血が騒ぐのでした。

寝室に入ると母は畳にひざまずき、両手を畳みに置いて土下座をするのでした。

「旦那様、どうかあなたの『奴隷妻』に今すぐ旦那様のすてきなオチンボを尺八させてください・・・そして・・思いっきり犯してくださーい!・・・」

顔を上げた母の目の前に佐藤の半立ちした男根が突き出されるのでした。

母は父にまだ佐藤から連絡は無いといいましたが、すでに佐藤は東京に着くと、何処へも寄らずに真直ぐにこの家に来ておりました。

来るが早いか母を寝室に追いやって、強姦するように一発済ませていたのでした。

こうして今夜もまた、母の豊満な尻に振り下ろされる鞭の音と猿轡をされた母の可愛らしい口からその都度上がる淫靡な悲鳴と啜り泣きが、裏山に明け方まで響き渡るのでした。

翌日、佐藤はお昼ごろまで寝室で寝ると、朝食を兼ねた昼食を母と摂り、誰にも見つからないようにお勝手口から裏山の小道を通り駅に出て仕事に向かうのでした。

そして、また夜の10時から11時頃に闇に紛れて裏山の小道をこっそりと通り、裏のお勝手口から直接に納屋の上の父と母の寝室に上がるのでした。

そして母と毎夜、淫靡な夫婦の様な暮らしをしているのでした。

ところが4日目の朝に思いも寄らない事が起こったのでした。

いつもの様に子供達を学校に送り出してから溜まった家事をこなして『そろそろ旦那様の食事を作ろうかな?』と思っていた時に玄関が開いて誰かが尋ねてきたのでした。

(今日は誰も来て欲しくないのに・・・。)

・・・と、母が出てみるとそこには佐藤の奥さんが立っているのでした。

「幸子さん久しぶりにお茶でも飲まないかと思って来て見ましたの」

いつも粋な着物を着こなしているものの、佐藤の奥さんですので、まるで母の母親ほどの年配の小柄な老婆です。

顔は笑っているのですが、深い皺に埋もれた瞳が冷たく光って見えるのは母に後ろめたさがあったからでしょうか?

近所ですので当然行き来もありますし、お茶のみもいたします。

しかしここ数年は、佐藤の奥さんは自分の家をあまり出たがらず、お茶のみをしたいときには電話を掛けてみんなを自分の家に呼ぶのが常でした。

そんな佐藤の奥さんが突然家を訪ねてきたのですから、さすがの浅はかな母も『ひやり』と背筋が寒くなるのでした。

後ろ暗い気持ちの母は追い返す訳にも行かず、居間に上げて相手をしておりました。

だらだらと取り留めの無い話をしているうちに、そろそろ佐藤を送り出す時間が来て母は気が気では有りません。

お茶の替えを台所に用意しに行った帰りに廊下を挟んだ台所の引き戸と居間の引き戸を閉めたのは、佐藤がこっそり抜け出してくれる事を期待したもので、期待に違わず佐藤は物音も立てずに抜け出してくれるのでした。

結局お昼まで居た佐藤の奥さんが帰った頃には、ぐったりと疲れる母でした。

決して言葉には出しませんでしたが、どうやら佐藤の奥さんは佐藤と母の不倫を疑っているようでした。

後から話の内容を思い返すと、富山に居る筈の佐藤がどうやら東京に戻っているらしい事が奥さんに分かってしまったらしいのです。

東京の事務所には毎日顔を出して確かに仕事をしているらしいのに、目と鼻の先の自分の家には戻って来ていない。

・・・ということは、いろいろ過去に女で苦労をしてきた奥さんにしてみれば佐藤にまた新しい愛人が出来た事ぐらい容易に想像が付いたのでしょう。

そして佐藤が自分の社員の妻に手を出すのが常である事。

そして今回の愛人は東京の、それもわりと近い所に居るらしい事。

それらを含めて考えれば、佐藤の奥さんで無くともおのずと分かるはずです。

東京の事務所の近所から出稼ぎに行っている人間といったら、佐藤の家の近所から出稼ぎに行っている父しか居ないではないですか。

つまり今度の佐藤の愛人は母だと言う事が明白なのでした。

確証は無いにしても佐藤の奥さんは『女の直感』で母が佐藤の新しい愛人であることが分かったのでしょう。

その後も母が佐藤と会うたびに何処で嗅ぎつけるのか、それとも女の感なのか、よく母を訪ねてきては実の無い茶飲み話を永遠としてゆくのでした。

しかし奥さんも佐藤の浮気には慣れっこになっていたのか、それとも諦めていたのか、その後も母に対してただヒステリックに罵倒したり問い詰めたりせずに、一見穏やかに、時には蔑む様な視線を送っただけだったと言うことです。

その目はまるで「わたくしは佐藤の妻なのよ」と言っているようだった・・・という事です。

そんな時「ふふふ・・奥さんの古マンチョよりあたしのオマンチョのほうが気持ち良いって旦那様はいつも言って下さるのよ・・あたしの体にあなたのスケベ旦那は夢中なんだから・・・」と、心の中で思っている母でした。

この後もうわべでは仲の良いご近所同士、しかし心の奥底ではどろどろとした本妻と愛人の鍔迫り合いが十年近くに渡って行われるのでした。

私も佐藤の奥さんについては、ただいつも顔中皺だらけにして笑っているということ以外あまり印象に無いのですが、いつの事だったかはっきりとは覚えていないのですけれども子供だった私に佐藤の奥さんが変なことを言ったことがありました。

ある時、奥さんが急に怖い顔をして私に「いくらお父さんが見ていないからと言って、影でこそこそと悪いことをしてはいけませんよ」と言う様な事を言われた記憶がありました。

いつ言われたのか、その時に私が何か悪いことをしたのか記憶に無かったのですが、思い返せばあれは私に言ったものでは無く、母に言ったのだと今になって思えるのでした。

4日目の夜に佐藤は現れませんでした。

今朝の事があった母はやきもきして一晩を過ごすのでした。

次の日の昼間に佐藤からの呼び出しがあり、母はいつものT駅に向かい久しぶりに旅荘で抱かれる母でした。

その時の佐藤の話で、昨日我が家をほうほうの体で逃げ出した佐藤はその夜に駅を降りていつもの様に母の元へいこうと考えていました。

しかし、何とは無く胸騒ぎがしたので、その日は真っ直ぐ自宅へ帰ったのでした。

佐藤が玄関を入ると、なんと奥さんは佐藤の後ろにいて駅から後をつけていたと言う事だったそうです。

奥さんはこの日に佐藤が現れるであろう時間に駅前で張り込んでいたのでした。

そうして佐藤が何処へ行くのか(多分母の所だろうと見当を付けていたようですが)こっそりと後を付けていたのでした。

「いやーあぶねえとこだったぞ、はははー」とセックスの余韻に浸っていた素っ裸の母の肩を抱きながら佐藤が話したと言う事でした。

この事があってから佐藤はその行動が慎重になり、母の家に来ても決して泊まってゆく事は無くなったと言うことでした。

この後も佐藤の奥さんと母は近所付き合いをして行くのですが、佐藤の奥さんの『妻の勘』は鋭いものがあり、佐藤と浮気をしたその日、あるいは次の日には奥さんがお茶のみにたびたび我が家を訪れるのでした。

しかし佐藤の浮気は病気でしたので、奥さんは確証を得られないのを良い事に(無理に母が愛人だと言う事実を認めたくなかった様子がありました)、事を荒立てる気持ちは無かったようで、静観していた節があるのです。

でも、やはり目と鼻の先で浮気をされては面白くなかったようで、たまに家に来てはチクリチクリと嫌味を言って気を晴らしていたのでしょう。

こうして淫乱で浅はかで自分勝手な母は、父が出稼ぎに行っている間中、佐藤との浮気を好きなだけ楽しむのでした。

そんな事もあってか、佐藤は4月に東京に居た日こそ毎日母を抱きましたが、5月以降は月に2~4回のペースになるのでした。

そして、父との約束の『月一回の浮気』のペースになるのは父がサラリーマンになる翌年になってからのことなのです。

しかし、そんな自分勝手な母の行動がいつまでも父にばれない筈は無く、6月には電話での話で不審に思った父の問い詰めにあっさりと『月一回の浮気』と言う約束を破った事実を認める母でした。

「だってえー・・ううーん・・気持ちよかったんですものー。でも安心して、あなたを忘れたことは一度だって無かったわ。それどころか毎回抱かれる前に『あなた、見ていて!』ってあなたのお顔を思い浮かべるのよ。そうするとあたし『あなたにいけない事をしている』って余計感じちゃうのよ。でもね、何回あの人に抱かれて見ても体だけの満足でしかないのよ。前みたいに心が動くことはないわ『あー気持ちよかった』でおしまいなの。」

「今回ねえ、あたし佐藤さんに抱かれて・・・どんなに虐められても・・何回行かされても『プレイ』が終わった後で、なんて言うのか物足りないのよねー・・心がねえー寂しいのよねえー・・・『あーやっぱり最後はあなたに抱いてもらいたい!あなたにあたしのオマンチョを虐めてもらいたい!・・あたしのもだえる姿をあなたに見てもらいたい!』っていつも思っているのよ。あたし解かっちゃったの!あたし『SMプレイ』が好きだけど夫婦の愛が無くっちゃ本当の満足は感じられないんだなって。佐藤さんじゃあ、やっぱりあなたの変わりは出来ないのよ。」

「そりゃあ佐藤さんの『サディスト』ぶりは、とても素敵だし、あの人の責めは本当に素晴らしいわよ。プレイしている時は『あー!あたしの体は旦那様のものなんだわー心はあなたを愛しているのに体が勝手に旦那様の責めを求めちゃうーあたしのマゾの体があの人のサディストの体を求めちゃうーー』って・・・去年と同じようにあたしは徹底的に『マゾ』の喜びを味合わされて、いつも泣きながら失神させられるわ。でもねぇー、ちょっと違うのよねー・・・。去年の感じとちょっと違うのよねーー。プレイが終わった後で去年は『あーこのまま旦那様の女でいたい』って思ってたのに・・うふ、ばっかでしょー。あんなおじいさんなのにねぇー・・。ところがねえー、今年は『あー気持ち良かった』でおしまいなの。その後で・・あなたのお顔が毎回目に浮かぶの・・・そうすると泣きたいくらい切ないの。『あーーやっぱりあたしは身も心もあなたの物なんだわーー』って、だからプレイが終わった後で佐藤さんを見ても『ふふ、いつ見ても厭らしいおじいさんねー、そんなにがんばって大丈夫?・・・またあたしを気持ちよくさせてね』って。」

「あたし前にあなたに言ったでしょ?『愛し合った夫婦だから出来ない事がある』って。去年のあたしは『マゾ』に目覚めちゃったから夫婦の愛より愛が無くても『サディスト』の厳しい責めが欲しいって思っていたのよ。でもあたし、あなたを心から愛している事が解かったから・・・あなたがあたしのことを愛してくれている事が解かったから『愛し合った夫婦だから出来る事がある』って気が付いたの。『マゾ』でも愛が一番必要なのよ。だからあなたが『もうあの人とはするな』て言えばいつでも別れられるわ。それに去年は散々あの人に好きなだけあたしの体で遊ばれたから、今年はあたしがあの人の体で思いっきり遊んであげるのよ。だからいいでしょーあたしが遊んでも。」

「あなたがいけないのよ。富山なんかに行くから。あたしを抱いてくださらないから・・・それに・・うふっ・・あなた興奮するんでしょ?あたしが佐藤さんのオチンボでもだえている事を想像して?あたしもそうなのよ。他人の佐藤さんはあなたの妻のあたしのオマンチョにオチンボを入れて好きなだけ楽しんで、精子を中出ししているのに、夫のあなたはあたしが佐藤さんのオチンボをおいしそうに尺八している姿を想像しながら山の中で自分でオチンボを『センズリ』して一人で精子を出しているのかと思うと、あたしあなたが可哀想で何とかしてあげたくってあたしオマンチョがジュンと濡れちゃうの。そしてあたし、あなたに思いっきり抱かれたい!あなたのオチンボで思いっきりオマンチョを突かれたい!あなたのオチンボをあたしのオマンチョで慰めてあげたい!って思っちゃうのよ今でもそうよ、出来るなら今すぐ飛んで行ってあなたに会いたい、会ってあなたに『おまんこ』して貰いたいっていつも思っているのよ。」

「でも、そばにあなたが居てくれないから仕方なくて佐藤さんに抱かれるのよ・・・あなたが一人で『センズリ』している姿を思い浮かべて、あたしは佐藤さんのふっといオチンボで『オマンチョ』を突かれてよがり狂っているのよ・・・ねえーいいでしょーあそんでもーー・・あなたが帰ってきたらたっぷりあたしの淫乱オマンチョをお仕置きして貰うからさあーー・・・ねえーだから許してねーー・・・」

・・・と、いつもの自分勝手で淫乱な母の理論なのですが、離れている父は「しょうがねえなー」と苦笑いをするしか無いのでした。

更に淫乱な母は、そんな父に相談も無くその年の9月には佐藤の勧めで自らの子宮に『避妊リング』を埋め込むのでした。

佐藤にしてみれば生で男根を母の女唇に嵌めて精子を中出ししてもペッサリーと言う壁が膣と子宮の間に在るのが気に入らなかったのかも知れません。

『避妊リング』を母に付けさせれば、母の子宮の中にまで自分の汚い精子を送り込み汚辱することが出来るからなのでしょうか?

浅はかで淫乱な母もいちいちペッサリーを付ける手間が省けると喜んで産婦人科へ行くのでした。

「あたしわかったのよ、お父さんね『マゾ』なのよ、気持ちがね。だからあたしが佐藤さんに抱かれると興奮するんだと思うわー勿論体だけの話で、心さえお父さんの物なら許されるって思ったのよ。だからお父さんには全て話したわ、何も隠さずにね」

・・・と母は言いましたが、私にはそんな浅はかな母の重大な嘘が分かっていたのでした。

母は最初から最期まで、それこそ父が亡くなるまで父に隠し通したことがありました。

それは最初に父に浮気がばれた時に、母は浮気の事実を全て隠そうとしました。

しかしそれが無理だと分かると、次には佐藤と淫乱な『SMプレイ』をしていた事を必死に隠そうとしました。

それがばれた時には佐藤と『二人だけの結婚式』を挙げたことを、それから佐藤に『愛』を誓ったことなどと、後で父にばれてからその都度、始めて懺悔を繰り返すという事をしてきたのです。

そんな中でさすがの父も気が付かなかった事があったのでした。

当然それは父から追及されませんでしたので、自分勝手な母はこれ幸いに口を噤んでいたのでした。

父は母の浮気相手、つまり母の体を抱いて、その女唇に男根を挿入して楽しんだ男は佐藤一人だと最後まで思っていたようです。

いくら佐藤が非常識でも自分の女をまさか他人に抱かせるとは思ってもいなかったのでした。

しかし佐藤と言う男は父の想像をはるかに超える男だったのです。

母は群馬の旅館で始めて佐藤以外の男に凌辱されましたが、私には話の成り行き上、口を滑らせた格好で話しておりました。

しかし当然のようにその事実は父に隠しておりました。

そしてその事実が父にばれない事を良い事にその後も口を噤んだのです。

「だってー今更、そんなこと言える訳ないじゃあない。お父さんだって気が付かなかったんだしー・・・その時一回だけだったしー・・・」

母は私にも嘘を突き通そうとしました。

しかし私にはすでに分かっていたのでした。

母の更なる淫乱行為を・・・。

母はしわくちゃになった敷布の上にうつ伏せにその白い裸体を伸ばしました。

掛け布団は部屋の隅に追いやられ、激しかった私とのセックスを物語っております。

母の二の腕と手首には先ほどの『SMプレイ』で私に付けられた縄目の後がくっきりと残っております。

背中の真ん中にも赤く充血した後が見えるのは後ろ手に縛った時の縛り瘤によって出来た痣でしょう。

二の腕の跡はともかく、手首に縄目の跡が付くと母は嬉しそうに、そしてちょっと困ったような顔をして「もーどうするのよーー冬なら長袖で隠せるのに夏じゃあ『SMプレイ』をしたのがみんなに分かっちゃうじゃあない・・・」と、それでも愛おしそうに両手首をさすっているのです。

今日の縛りはきつかったので、おそらくうつ伏せで見えない母の乳房の上にもくっきりと縄目の後が付いた事でしょう。

いつだったか母と旅行に行った時、地方の博物館を見学していてガラスケースに『縄文式土器』がありました。

「幸子、見てごらん。お前と一緒だよ」

「えっ?なにがー?」

・・・と母が不思議そうにガラスケースを見つめるので、

「よく見てごらん・・縄の跡が一杯付いているよ。幸子の体と一緒だね」

「えーいやだーー、でもホントねえーーああん、この子こんなにぐるぐる巻きにされて気持ちよかったでしょうねーー」

・・・と、うっとりとガラスケース越しに『縄文式土器』を見つめて、変に感心されると何か言って母を辱めようと思っていた私は呆れて何も言えないのでした。

その夜、温泉旅館で『プレイ』した後で、母が体にまとわり付いた縄を外して、いきなり私に「あなたーみてーーほら!みてえーー」と、両手で乳房を持ち上げて胸を張りながら左右にゆっくりと振ったのです。

「なにさー?」

私が不思議がると母はいやらしくも可愛らしい笑みを浮かべて「うふふん・・ほら!あたしの胸!みてよ!みてえーほら!・・縄文式・おっぱいよーー!」と言ってにじり寄るのでした。

確かに母の乳房の上には二筋の縄目の後がくっきりと付いているのでした。

そんな事を思い出しながら母のだらしなく伸びた体をさすっていると、母はセックスの余韻に浸りながらいつもの様に過去の浮気の話をしてくれるのでした。

その中で私の問い掛けに佐藤以外に他の男に抱かれたのはあの群馬の旅館での『プレイ』一回だけだったと言ったのです。

母は私にも嘘を付き通そうと思っていたのでしょうが私には通用いたしません。

「嘘を付け!」と私はその母の豊満でセックスの余韻でピンクに色付いた尻を平手で叩きました。

「いたい!あん、なによ?」

母が潤んだ瞳を私に向けます。

「一回だけだと?嘘を付くのもたいがいにしろ」

そう言って私は立ち上がると戸棚を開き、あの父が買って今は私の大事な宝物になっている『奇譚クラブ』の間に挟んであった五枚の写真を取り出すのでした。

その写真は佐藤と母との『SMプレイ』の写真が三枚と嵌め撮り写真が二枚ありました。

私の記憶では佐藤にカメラの趣味はありませんでした。

もしも佐藤に写真の趣味があったならば、お金持ちで凝り性の佐藤のことですから写真を取り捲り、現像も自分で行った事でしょう。

たとえ現像は自分でしなくても、その交友関係の広さから誰かに現像を頼んだ事でしょう。

現に五枚の母との『SMプレイ』写真はここに現存しているのですから。

佐藤に写真の趣味があったなら母は飛びきり上等の被写体だった筈です。

おそらく今頃は、そこら中に母の淫靡な写真が溢れていたに違いありません。

しかし現実にはここに残っている五枚の写真しかないのです。

母に聞いても、後にも先にもこの日に撮ったこの五枚しか無いということです。

ということはどう言う事でしょうか?

結論から言って佐藤にはカメラの趣味はなかったのでしょう。

ではこの五枚の写真は一体誰が撮ったのでしょうか?

「さっ佐藤さんがとったのよ・・・佐藤さんよ・・・」

母は否定しましたが、私の顔をまともに見られませんでした。

私は二枚の嵌め撮り写真を母に突付けました。

剃毛された女唇の中に今まさに勃起した男根を突き刺そうとしている瞬間を撮ったものと、男根が女唇の中に半分ほどめり込んだ写真です。

女のモデルは母である事は、先日母が自ら認めました。

では相手の男は誰でしょうか?

「・・・・・・」

母は何も言わずに淫乱な笑いを浮かべて、まるで子供が悪戯を見つかったかのような淫靡で可愛らしい顔をしました。

「佐藤の珍棒は親父の倍近くあったんだよな?そして俺の珍棒は親父と同じくらいだったよな?でもね、この写真の珍棒は俺と同じくらいだぜ。ほら、だからこの男は佐藤じゃあ無いって事だ」

母は淫靡な笑い顔を浮かべたままゆっくりと起き上がると、私に抱きついてきました。

「もう・・・あなたは何でもわかっちゃうのね・・・悪い人。お父さんだって気が付かなかったのに・・・」

そうして母は私にそれ以上喋らせたく無いかのように口付けをしてきました。

この写真の男はやはり佐藤では無く、佐藤の知り合いの男でした。

この写真が撮られたのは最初の浮気の年から3~4年後のことで、場所は伊豆方面のその男の別荘だったということです。

写真が趣味の男だったらしく佐藤と母との『SMプレイ』を写真に撮りたいと佐藤に持ち掛けたらしいのです。

母はとても恥ずかしかったのですが、否応無しに写真を撮られ最後はいつものように『3P』をしたのでした。

やはりこの嵌め撮り写真の相手は佐藤では無くてその男だと母が白状しました。

その後もその男から何度か佐藤に誘いがあったようですが、どう言う訳か佐藤はその後その男と母を合わせはしませんでした。

おそらく佐藤はあまり写真が好きでは無かったのではと思われるのです。

何故なら当然のように写真にはモデルの母の他に責め手の佐藤の姿も写るわけですので、自分が写った淫靡なプレイ写真が後々まで残るのが嫌だったのかもしれません。

その証拠に、その時写された写真はかなりの枚数あったと言う事ですが、殆んどを佐藤が処分して残ったこの五枚を母にくれたと言う事でした。

母はその話をする中でまたボロを出しました。

「なんだよ!・・いつも『3P』をしていたのか?」

そうです、母はいつも佐藤以外の男と『セックス』をしていたと白状してしまったのでした。

「え?・・いやーん、ちがうわよ。いつもじゃあないわ・・・年に一度か二度よ・・もう・・みんな判っちゃうんだから・・」

母の話によると最初の年の『群馬の旅館』で佐藤の社員二人に抱かれた母でしたが、その年の内に、もう一度『3P』をしていたと言う事でした。

相手は佐藤の取引先のお偉いさんだったらしく、何の事はありません、佐藤は接待のために母を人身御供に差し出していたのでした。

次の年もやはり佐藤の接待のために、一度ですが今度は3人の男の慰み物にさせられ、一晩中好き勝手に縛られ責められて汚辱されたようです。

しかし淫乱で浅はかな母は、佐藤に利用された事には何も感じておらず、かえって3人の見ず知らずの男から汚辱された事で『マゾ』の血が騒いで「とても素敵なプレイだったわ」と目を潤ませる始末でした。

翌年からは、父がサラリーマンになったので佐藤との逢瀬は一ヶ月に一度のペースになり泊まりで家を空ける事など年に一回有るか無いかでした。

月に一度の逢瀬も2~3ヶ月に一度は『家を空けられない』と言う理由を付けて、我が家の寝室で昼間から佐藤に抱かれる母でした。

当然ですが、その時は夫が押入れの天井裏に潜んでいて、二人の破廉恥な『SMプレイ』を覗いており益々母の羞恥心を煽るのでした。

しかし年に一度とは言え、母は泊まりで家を空ける事があったのです。

母は新潟生まれで、当然学校も新潟でした。

田舎のことゆえ同級生の繋がりはかなり強く年に一度、必ず『同窓会』が開かれており、日本全国に散らばた同窓生がこの時は一同に会したのです。

この頃では、母も田舎に帰るのはこの時と決めており、父も年に一度だからと『一週間でも十日でも行っておいで』と優しく送り出してくれるのでした。

父の優しい言葉をいい事に、淫乱で自分勝手な母は、佐藤と示し合わせて『同窓会』の前にちょこっと実家に顔を出し『同窓会』が終わると一目散に示し合わせた佐藤の元に飛んで行き、残りのほとんど一週間近くは佐藤の『奴隷妻』として過ごしていたのでした。

最初のうちこそ佐藤は母に合わせて同窓会が行われる新潟やその近辺の温泉などに出向いておりましたが、だんだんと母の方を自分の都合に合わせるように呼びつけるようになりました。

母はその都度佐藤の指定した場所へ行くようになり、新潟へ帰って同窓会に顔を出した途端に東京へとんぼ返りをして佐藤に抱かれたり、金沢だったり長野だったりと、その都度いろんな所へ呼び出されるのでした。

ある時などお土産を見た父が「お前、新潟に帰ったはずなのに、何で大阪のお土産があるんだ?」と呆れられたりもしました。

佐藤が母を色々な土地へ呼び出すようになったのには訳があったのでした。

佐藤はこの頃より『スワッピング』を始めたようでした。

そして母の同窓会に合わせて『スワッピング』相手を探していたのです。

そのため結果として母は色々な所へ出かけてゆくことになったのでした。

当時は『スワッピング』と言う言葉は一般的ではなく『夫婦交換』と言っておりました。

今のように『スワッピング』の雑誌がある訳でもなく、またそう言った『会』がやたらにあったわけではありません。

しかし『夫婦交換』と言うことは一部の『好き者』の間では古くから行われていたようでしたが、まだ一般の人が手軽に行える訳ではなかったようです。

そんな中で、当時『夫婦交換』の始まりとも言えることが起こり始めていたのです。

それは『奇譚クラブ』を始めとした、当時市民権を得だした『SM』雑誌が媒体になって行ったのでした。

『奇譚クラブ』などの月刊誌の巻末には必ずと言って良いほど『読者欄』があり本の感想や自分達のプレイ体験などが載っておりました。

当時『SMプレイ』をパートナーとする場合、当然ですがほとんどが夫婦で行われていたようです。

夫婦で『SM』の趣味がある場合は幸せですが、夫にあるいは妻にその趣味が無い場合は、そのパートナーを他に求めるしかなかったのでしよう。

そのパートナーを求める場所として『SM雑誌』の読者欄が使われたのでした。

当時の読者欄を見てみると男性からの『M女求む』と言う書き込みが圧倒的に多かったですけれども、夫にまったく『SM』の趣味がないために自らの体を苛めてくれる『サディストを求む』と言う『M女性』からの投稿も一割ほどありました。

当時の事情からして一般の女性は、自ら投稿する勇気は無かった事なのでしょう。

その代わり、男性の『M女求む』と言う投稿にはそこそこの返事があったそうです。

そうこうしている内に、当然のように『パートナー交換』『夫婦交換』を呼びかける投稿が目立ち始め、此方の方は『会』と言う形になってゆくのでした。

ですのでこの頃の『スワッピング』の会は『セックス』あるいは『乱交』が目的では無く『SMプレイ』が目的の『夫婦交換会』が多かったようです。

そうは行っても最終的に行われるのが『セックス』あるいは『乱交』だった事は当然の成り行きでしょう。

佐藤はそう言う会に出入りするうちに、一人の未亡人と知り合いになりました。

話の様子では、その人と知り合ったからそう言う『SM夫婦交換会』に出入りしだしたのかもしれません。

どちらにしても佐藤に新しい『愛人』が出来た事には間違いありません。

その事は、母にとってはあまり気持ちの良い話では無かったのでしょう。

母は、その人の事をあまり話したがりませんでした。

佐藤の『愛人』は自分一人だと思っていたのに、たとえ愛の無い不倫相手といえども、別の女が出来たのですから母にとっては複雑な思いだったようです。

佐藤にしてみれば今まで好き勝手に母を抱くことが出来たのに、父がいつも家に居る状況では、今までのように好き勝手に母を呼び出して汚辱できなくなったのです。

当然、精力を持て余せた佐藤が次の『愛人』を作ったのも当然だったのでしょう。

その新しい『愛人』の事は良く分からないのですが、年は母より一回り位上らしく、丁度母と佐藤の間くらいの歳の人でした。

当然『マゾヒスト』で『サディスト』の旦那さんが亡くなった後で、体の疼きを満たすために佐藤と知り合い『愛人』になったようです。

しかし私は思ったのですが、佐藤は自分から積極的にその人を『愛人』にしたのでは無かったのではないのかな?・・・と思えるのです。

何故なら今までの佐藤の行動を考えると、佐藤は他人の妻を寝取ることが生きがいのような男でした。

その為、手っ取り早いところで、自分の会社の社員の妻に手を出していったのでした。

そして、その女を物にする為には、金を惜しみなく使い、ありとあらゆる手を使って物にしてきたのでした。

しかし今回の女はあまり苦労せずに『愛人』にしたようです。

・・・と言うよりは、女の方から進んで佐藤の『愛人』になったようでした。

佐藤が進んでその女を『愛人』にしたのではない証拠の第一に、その人には寝取る相手の夫が在りませんでした。

佐藤と何処でどうして知り合ったのかは分かりませんが、今までの佐藤の『愛人』とは違う気がします。

その事を裏付けるように、佐藤はその人とは『夫婦』という触れ込みで『夫婦交換会』に度々出ていたようでした。

母とは、どう見ても親子のようで『夫婦』には見えませんでしたが、その人となら違和感無く夫婦として人前に出ていられたのでしょう。

佐藤はその人と夫婦に成り済まして『夫婦交換会』に参加し、他人の妻を思う存分凌辱していたのでしょう。

つまりは佐藤にとっての新しい『愛人』は、より多くの他人の妻を、寝取るための道具だったと思えるのです。

当時の『夫婦交換会』の暗黙のルールとして『カップルは本物の夫婦である事』と言うのがあったようです。

特例とし相手が亡くなっている場合など『本物の妾(愛人)である事』と言うものがあったようです。

いずれにしても、本人にとって馴れ親しんだ、かけがえの無いパートナー同士だからこそ交換出来ると言う事なのでした。

これは、たまに金で雇った水商売の女を自分の『妻』として『会』に参加する不届き者があった為のようで、やはり何と言っても最愛の妻、あるいは大事な愛人を見ず知らずの男に差し出す訳ですから、どこの馬の骨とも判らないお金で買ったような女との交換では割が合いません。

相手も最愛の妻、あるいは妾を出して貰わなければ釈然としないのは、誰しもが感じる所だったのでしょう。

そういう訳で、そういった『会』には必ず身元の確かな人が世話人に成り、そして身元の確かな人達が集まるようになっていったのでしよう。

そのため、そういう会においては佐藤の新しい『愛人』が佐藤の『妻』として認知されており、たまに顔を出す母は佐藤との年の差で一目瞭然のように佐藤の『妾(愛人)』との扱いだったようです。

その事が母には少し気に入らない事だったようでした。

当時の『夫婦交換会』には今の様に20代の若い夫婦が参加する事などは、ほとんどなかったようです。

当時『夫婦交換』をしていた人は、大半が40代~60代で30代の母は何処へ行ってもモテたそうです。

そういう訳で、母は『同窓会』にかこつけて佐藤と逢瀬を楽しんで、そのついでに1日~2日間、佐藤が連れてきた夫婦あるいは何人かの男達と『SMプレイ』を楽しんでいたのでした。

浅はかな母の事ですので、年に一回きりの『夫婦交換』の事など相手もその都度違う事もあって、ほとんど覚えていないようでした。

私がいくら聞き出そうとしてみても本当に覚えていないようでした。

母にしてみれば佐藤とはじめて浮気をした年と、翌年に夫公認で浮気をした時の事は、その都度、夫に報告したり全て文章にしたり、あるいは夫の前で実演したりしていましたので鮮明に記憶に残っておりましたし、その時書かれた手紙も残っておりました。

しかし、それから後の年の浮気の事は、今までのように詳細を夫に報告しておりませんでしたので、月に一度の浮気の事など浅はかな母の記憶に残っていなかったのでした。

そのうえ、年に一度行われた『夫婦交換』や佐藤以外の男に抱かれた事などは、最後まで夫に秘密であった為、話す機会も文章にする事も無かったので覚えていなかったのだろうと思えるのでした。

しかしそんな中でも、一回だけですが母にも忘れられない『夫婦交換会』がありました。

その時の事だけは、浅はかな母も忘れられなかったようで、私に懐かしそうに話てくれるのでした。

それまでの佐藤がセッティングした他人とのプレイは単独の男達(ほとんどが佐藤の取引相手だったと思われ母は、体良く人身御供に差し出されたのだと思います)を除いて二対二のカップル同士の『夫婦交換』でした。

しかし母が忘れられない『夫婦交換会』は、佐藤が出入りしていた『スワッピングの会』の定例会だったようで、何組もの夫婦が一同に会して『乱交』を行ったのでした。

その会はそういった、会員同士が集まる定例会を三~四ヶ月に一度行っており佐藤も新しい『愛人』と夫婦と言う触れ込みでよく参加していたのでした。

その時は、たまたま母の『同窓会』の時期と定例会の時期が合ったために佐藤は母をその会に連れ出したのでした。

しかし、浅はかな母は佐藤が参加していた『スワッピングの会』の名前すら覚えていないのでした。

何処で行われたのか場所を聞いても母には、はっきり分かっておりません。

方向音痴な母にとっては、那須温泉も塩原温泉も鬼怒川も川治温泉も全て同じ場所に在ると思っているくらいですので、無理からぬことなのでしょう。

ただ『同窓会』が終わってから福島との県境の温泉で佐藤と一泊して、車で一日ほど走った温泉地だったという事なので、上記のあたりではなかったか?と思えるのでした。

早めの夜食を取ってから、その温泉地のだいぶ外れにある会場の別荘に行ったと言う事です。

その別荘は、元は潰れた小さな旅館だったのを今のオーナーが買い取り、別荘として改装し使っていました。

その人が仕事をリタイヤしたのを好機に(中堅どころの社長だったらしい)、後妻と(オーナーは70代で奥さんは50代)そこを本宅として悠々自適の暮らしをしていたらしいのです。

元々『SM』好きで世話好きの夫婦だったため『夫婦交換会』を主催するようになって自宅を会場に開放していたのでした。

その会の定例会は『奴隷交換会』と銘打って毎回幾組かのカップルが集い、親睦を図りながらお互いの『奴隷』達を交換し合い、『SM乱交セックス』を繰り広げていたのでした。

別荘に着くとすぐにオーナー夫婦が出迎えてくれました。

70歳を越しているようには見えない背筋がピンとして髪の黒々としたひょろりと上背のある優しそうなご主人と、これも若作りのぽっちゃりと愛嬌のある奥様でした。

(まぁ、お二人とも見るからに「淫乱」そうだわ・・・。)

自分の事を棚に上げて母が思ったそうです。

所定の部屋に案内されながら『マダム』(オーナーが『会長』と呼ばれていて奥様は『マダム』と呼ばれていてそうです)が、

「幸子さん良く来てくださったわお待ちしていましたのよ。あなたの噂はいつも聞いていましたのよ・・・とてもすてきな方だって・・・本当にチャーミングな方・・・これじゃあ佐藤さんが出し惜しみするわけねー」

母にそう言って、前を行く佐藤を突っつきました。

「一度あなたと『プレイ』した殿方は、皆さんあなたを誉めていらっしゃるのよ。そしてもう一度『プレイ』したいって佐藤さんにお願いしてもあの人決して『うん』とは言わないのですって・・・。うふふふ・・・だから・・・あなた今日は大変よ・・・今日いらしている殿方は、みんなあなたがお目当てなんですって・・うふふ・・だから・・今夜はあなた、めちゃくちゃにされましてよ。うちの主人もあなたとしたいって・・・うふふ、一回付き合ってあげてね」

・・・と、嬉しそうに囁くのでした。

「それとね・・うふ・・今日いらしてる女性陣はみんな佐藤さんがお目当てなのよ、あなた幸せね・・佐藤さんの素敵なお道具でいつもできるなんて・・・ねえ!佐藤さん今日は一番であたくしを指名してね!おねがいよ!」と、前を行く佐藤を再び突っつくのでした。

「ああ、いいですよ。今日は久しぶりに『マダム』のお相手をさせて頂きますよ」と、佐藤がおどけて見せるのでした。

部屋に入ると佐藤と二人で早速部屋のバスで汗を流すのでした。

その際、佐藤の命令で母は浣腸をされるのでした。

これは後で、誰かに『アナルプレイ』をされた時のエチケットだと佐藤が言いました。

バスから上がるとこれも佐藤が待ってきた見るからに卑猥な下着を着けその上に部屋にあった浴衣を着て母は佐藤の後を付いて行き会場の大広間へ行くのでした。

大広間は、六畳ほどの板の間の舞台が付いた三十畳ほどの広さのある部屋でした。

元は畳の和室だった部屋に絨毯を敷いて洋風に改築してありました。

部屋の中央に幾組かの敷布団が敷かれてそれを取り囲むようにソファーやクッションそれに食べ物や飲み物などが置いてあるテーブルが配置されております。

30センチほど上がった舞台の上には、一目で安物と判るカーペットが敷かれてありますが、これは『ローソクプレイ』で飛び散った蝋や『浣腸プレイ』で床が汚れるのを防ぐためだった事を母は後で身を持って知るのでした。

部屋の照明は舞台を照らすライト以外全て落とされ、所々のテーブル上の赤やピンクのシェードの付いたランタンの明かりが淫靡な雰囲気を盛り上げております。

レコードが静かに掛けられており、まるで高級なクラブのようです。

母と佐藤は空いていたソファーの一つに腰を下ろしました。

すると直ぐに若い男の人が飲み物を持って来てくれたのです。

母はこの部屋に入ると直ぐに気になっていたのですが、カップルとは別に三人の若い男の人がいていろいろとサービスをしてくれているのでした。

しかもその三人は皆素っ裸に白いふんどしを締めているのでした。

ソファーにはそれぞれカップルが座っています。

会長夫婦の隣のソファーには四十台の細身の女性が一人で座っており会長夫婦と楽しそうに話をしております。

後で分かる事ですが、今日のパーティーに参加していたのは、会長夫婦を含めて四組のカップルと(母達以外は全て夫婦でした)単独参加の先ほどの女性(結婚していたのか独身なのかは聞かなかったそうです)と雑用と接待をしている三人の若い男性を合わせて12人でした。

皆、楽しそうにカップルとおしゃべりをしているようですが、その実は今日の相手を物色しているようでお互いにあの人はどうだのと品定めをしているようでした。

この会は『奴隷交換会』と銘打っており『サディスト』の男達が自分の『マゾ奴隷』を『奴隷市場』に出して、他の『マゾ奴隷』と交換し一夜を違う『奴隷』の体で楽しむという趣旨でした。

一見『サディスト』の男達が自分の妻だけでは満足出来ずに他人の妻を縛り、犯し凌辱して楽しんでいるかのように見えますが、母が感じた実際のところは、夫達より妻達のほうが数倍楽しんでいたと言います。

その証拠にこの会には、妻達が一様に楽しめるように暗黙の決まり事がいくつかあったのです。

一つには『射精する時は必ず別の奴隷とする事』と言う様なものがあったそうです。

これは『一人の女性だけに同じ男が何回もセックスしてはいけない』と言う事であり、厳格に守られたかどうかは別にして『奴隷交換会』に参加した女性達が等分に楽しめるように考えられていたのでした。

つまり今夜、男達は平均して『三回~四回』射精するわけですが、必ず3人~4人の奥様方の相手をして満足させなければならないと言う訳でした。

しかし、そうは言ってもやはり今日の母のように人気のある奥様には皆一様にプレイをしたがり、結果として『3回~4回』の射精のうち1回は同じ女性に出される事になって他の妻たちの分が減る事になります。

その穴を埋めるためにあの若い3人の男が呼ばれている訳で、彼らは『お助け人』と呼ばれ『オーナー』(奴隷を差し出した夫)達のように自分で『奴隷』を指名してプレイする事は出来ませんが、3Pをしたい『オーナー』や満足できない『奴隷妻達』が彼らを指名出来る決まりになっていたのでした。

三人の若い男のうちで一番色の黒い男が舞台に立つと、いよいよ今夜の『奴隷交換会』が始まるのでした。

面白おかしく口上を述べた後で男がおもむろに

「お待たせいたしました。さあ、今宵皆様方の慰み者になる奴隷達をご紹介いたしましょう・・・まず始めは、会長の奥様からご紹介いたします・・さあ『マダム』こちらへ・・・」

いつの間にか真っ赤なドレスに着替えた『マダム』が満面の笑みを浮かべて舞台に立ちました。

両手を広げて一回りすると中央に立ちます。

すると先ほどの男がすかさず『マダム』の後ろに立つと、ドレスの背中のチャックを引き下げて一気に脱がせてしまうのでした。

『マダム』のドレスの下は、真っ赤なレースのスキャンティの他には何もつけていない白い豊満な裸体が現れます。

「オオーッ」と言う男達の歓声が上がります。

やはり恥ずかしいのでしょう『マダム』は両手で豊満な乳房を隠しております。

「さあ、奴隷はご主人様達に全てをお見せしなくちゃあいけませんよ」

男が『マダム』の後ろから乳房を隠した両手を背中にねじ上げます。

「あっ!」

思わず母は声を上げそうになりました。

なんと『マダム』の両方の乳首には金色に光る丸いリングが取り付けてあるのでした。

ニップルピアスは今でこそ珍しくありませんが、当時の母は初めて見たのです。

そしてその後もっと衝撃的なものを母は見る事になるのでした。

『マダム』の両手を背中にねじ上げた男は、いつの間にか持っていた白いロープで『マダム』の両手を後ろ手に縛ると手馴れた手つきで二の腕と乳房の上下を幾重かに縛り上げました。

『マダム』の豊満で、幾分垂れ気味の乳房は絞り出されるように突き出しました。

もうすでにパンパンに勃起した乳首にはあの金色のリングが息づいております。

その後で男は『マダム』の前にひざまずくとレースの薄いスキャンティーを一気にずり下げるのでした。

『マダム』の吐息が聞こえます。

「『マダム』の土手はいつ見ても手入れが行き届いていて綺麗ですねえ・・・」

男の影になってよくは見えないのですけれどもどうやら『マダム』も剃毛されているようです。

『マダム』は恥ずかしそうに上気した顔を振りました。

男は舞台の中央に置いてある大振りの肘掛け椅子に『マダム』を座らせると『