関西の小さなまちに住んでいる41歳の主婦です。
稚拙な文書で申し訳ありませんが、わたしの人生を大きく変える出来事のことを読んで下さい。

昨年の夏、志望校に無事合格し初めて親元を離れての学生生活をしていた一人息子のたけしが、夏休みで自宅に戻ってきました。
それが、悪い夢のような事件のすべての始まりでした。

わたしは短大を出てすぐに、近くのまちの貿易関係の会社に祖父の紹介で入社。
従業員が300名ほどの会社で、同期入社の女子社員は8名。

その中でもとびきり輝いていた(といわれてた)わたしは、総務部秘書課に配属され小うるさい2名の先輩に虐め られながら、一生懸命に仕事を覚えていきました。

「頑張っているね!」と、当時企画部長だった主人に声を掛けられたのは、入社してまだわずか半年くらいの時。

最初は相手が御曹司だったこともあり、できるだけ個人的なお付き合いはしないでおこうと距離をおいていたのですが、断れない状況でお食事に誘われてから、親密なお付き合いが始まりました。

いろんな噂を社内でたてられ、ねたみみたいなこともたくさん言われて、結局1年半で退社することになりました。

一度は諦めた彼でしたが、海外の赴任先でわたしの退職を聞いた彼が、わずかな休暇を利用して日本に帰り略奪するように現地まで連れていってくれて、初めて結ばれました。

亡くなられた彼のお父さんは、祖父と戦友だったこともあって、二人の結婚話はとんとん拍子に進み、ほどなく一人息子のたけしも誕生して、何の不自由もない生活を送らせてもらっていました。

「おかあさん、明日友達とマージャンするから、食べ物の用意をしておいてね」
主人が5日間のシンガポールへの海外出張の初日、たけしはわたしに告げました。

「へぇ~、マージャンなんて覚えたのね」というと、
「高校3年からだよ。でも受験生だから家でやれないだろ」
って..。志望校に通って東京で一人暮らしをしてきたたけしは、なんだかちょっと立派に見えました。

翌日の午後、茶髪にイヤリングをした一見ガラの悪そうな若者達が3人やってきて、挨拶もしないで2階のリビングに息子と一緒に上がっていきました。

「あんな子たちとつきあっていたのかしら」
といぶかりながらも、インターホンで言われるままに、作っておいたおつまみやビール、ウィスキーなどを運びました。

3時過ぎ頃になって、汚れ物を片づけようとリビングにあがったときは、お皿をトレーに重ねるわたしの後ろ姿を見てひとりの子が、
「おばさん、いろっぽいおしりしてるじゃんか」
とかいいはじめ、3人で卑わいな言葉を背中に浴びせかけてきました。

たけしはそれを聞いてか聞かずか、困っているわたしに知らないふりをしていました。

「この子たち、どこでこんなことを覚えてきたのかしら..」
ほとんど社会人としての生活もせず、若く結婚して絵に描いたような幸せに慣れているわたしには、聞いたことのないような言葉にドキドキするばかりでした。

(いつ帰るのかしら..)
4人分の夕食を作りながら、台所で立ち仕事をしているとひとりが玄関から出ていって、ほどなくふくらんだナップザックを持って戻ってきました。
別に何かとも意識はしていなかったのですが、あの中に・・・あれが入っていたのです。

午後7時過ぎに夕食を出して、しばらくしても帰る気配がありません。
時間だけが過ぎてゆき、時々響く彼らの喚声だけが、とても奇異に感じました。
我が家は住宅街の中にあっても、庭でご近所とは隔てられており、少々の物音は聞こえません。
また前の道は車通りも多く、隣家の声もかき消されてしまいます。

10時過ぎになって、「早く帰ってくれればいいのに」と思いながら、水割りの氷と水を求められて、リビングに持ってあがりました。

決して誘惑的な服装をしていたわけではありません。
白いブラウスにグレー膝丈のタイトスカート。ブラウスから薄いピンク色のブラがちょっと透けて見えたかもしれませんが、ごく普通の夏の服装でした。

スタイルだけは若い頃からほとんどサイズの変化はなく、160センチ・48キロ・B84・W58・H86というのは、ときどき姿見に映してみても「まんざらではないわ」とは思ってはいました。

リビングに入ると、一番大きな子がドアの前に立っていました。
ちょっとびっくりしましたが「おトイレかしら」と思い、身体を脇に寄せようとすると突然お腹に激しい鈍痛を感じました。

みぞおち辺りを殴られたようで、わたしはその場で気を失いました。

気がついたとき、わたしは寝室のベッドに仰向けにされ両手両足を四隅に縛られて、身動きできないようになっていました。

すこしずつはっきりとしてくる意識の下で、周囲に息子の姿を探しましたが寝室には一番身体の大きなA、細身でひ弱そうなB、小太りのCの3人しかいないようでした。

Bはベッドの足下でビデオ撮影の用意をしているようで、三脚を立てていました。

Cはナップザックの中から、バイブレータやピンクロータ(こんな名前も知りませんでした)ほかにもいろいろな道具を取り出していました。

わたしを殴って気絶させたAは、上半身裸でベッドの脇からわたしを見下ろしてウイスキーをラッパ飲みしていました。

「おばさん、気がついたんか」
Aがまるで品定めをするように、いやらしい目で足先から頭までをじっとりなめ回すように見て言いました。

「おばさんはかわいそうやな。これだけいい身体してるんやからな。ほんまそそるやないか、雄を求めるフェロモンがプンプン香ってくるで。奥さん、いつもこうやってレイプされるのを夢みとったんやろ。今夜はわしらが、ボロボロになるまでかわいがったるわ。夜が明ける頃には一匹の雌奴隷に仕立て上げてたるから楽しみにしときな」

Aはそう言って、自分のスボンを下着と一緒に下ろしました。
わたしはびっくりしました..Aの股間は「こんなにおおきなものがあるの?!」と信じられないくらい立派だったのです。

わたしはこの世に生を受けてから、男性として知っているのは主人ひとりだけでした。
Aのそれは主人のものをふた周り以上太く、こぶし半分長くそして反り返っていました。

股間から目を背けながら助けを呼ぼうとしましたが、ゴルフボールくらいのプラスチックの玉に穴の空いたさるぐつわをされていて、どうしても声にはなりません。

「うぐっ、あぐぅ..」。(許して、助けて)と叫びながら、一緒にいたはずの息子の名前を連呼しました。
救って欲しい、どうしてわたしがこんな目に..これから何をされるのか、恐怖で死ぬほどの思いでした。

Aはわたしの左右の頬を、鈍く光るサバイバルナイフで何度か張っておいて、ブラウスのボタンを一個一個、時間をかけて切り取って行きました。

ひとつはずすごとに「奥さんのおまんこはもうぐちょぐちょやろ」とか「オレの子をはらましたるからな」とか、3人でいろんな言葉を浴びせかけてきました。

私はただただ、迫り来る恐怖で瞼をしっかり閉じて目をつぶり、首を左右にふりながらいやいやをして、声にならない声で「助けて!」とつぶやくだけ。
3人のなすがままにされていました。

Bが縛られて自由の利かない足の親指を強く噛み、ストッキングの上から足先をなめ回します。

それはだんだんとくるぶし、ふくらはぎから太股に..そして長くはないタイトスカートの裾をまくり上げるとストッキングをやぶり、パンティの上からわたしのあそこに舌をはわしました。

舌と指とローターを使って、Bは必死に耐えるわたしを責め続けました。
Aにとっては、サイドホックのタイトスカートなんて布切れも同然です。
ナイフで一気に切り裂かれると、もうわたしの抵抗力も徐々に萎えていきました。

ブラのトップを何度もAにナイフでつつかれながら、胸間でブラが切られわたしの乳房が露わになります。

ビデオを取りながら股間に手をやっていたCが、左側から乱暴に乳房にしゃぶりついて来ました。
右側はAの大きな手で、もみ上げられています。

実はわたし乳房に性感帯があって、乳房をもまれたり乳首をいじられたりすると「ジィ~ン」と感じてしまうのです。
この時も、「犯されている」という嫌悪感とは別に、身体は自然と6本の手と2本の舌であらがう力を失っていきました。

Aがずっとパンティの上から触ったりなめたりしているCを私から離して、
「奥さん、ほな生まれたままの姿になってもらおか」
と、パンティの脇からサバイバルナイフを入れました。

息子の借金を体で返済1  2  3  4