母と父は、毎日喧嘩が絶えることがありませんでした。私が五歳の時、暴力に耐えかねた母は一人で家をでました。何時も母と一緒に寝ていた私は、父と寝るようになりました。お風呂に入っても必要以上にあそこを触られ、布団に入れば全裸にされて、あそこを触られました。私は父が遊んでくれているものだと思い、父のされるがままでした。小学校に入学した頃から、私の下半身に変化が始まりました。父が酔って眠ってしまい、何もされないと下半身が勝手に父の手の刺激を要求したのです。父の顔を跨ぎ、オシッコの体勢で父の唇にあそこを押し付けます。すると父は目を覚まし、舌先で敏感な所を刺激します。私も父に教えられた事をしました、勃起して 硬くなった物を両手で握り、上下にこするのです。白いのが出るまで何度もです。69もするようになると、父が何処から入手したのかピンク色したブルブルと振動する玩具を、私の敏感な部分に押し付けました。私もこの頃からヌルヌルが出始めて、父はチュウチュウ音を立てて私のヌルヌルを、美味しいと言って舐めていました。3年生の頃、父は細長い振動する玩具を私の中に入れて来ました。そのときは未だ処女です。3年生の夏の頃には快楽も覚え、いくようになって父のチンチンの亀頭部分まで入るように、幼い膣口も次第に拡張されていきました。9月10日、私の10才の誕生日でした。ついにチンチンを奥まで入れられ、私は処女を失いました。まだ生理の無い私ですから、父はほぼ毎日私の膣内で射精しました。私が4年生の時に、おしっこをすると生理でもないのに血液が流れ便器を汚すので、学校の保健の先生に相談しました。女の先生は私のパンツを脱がしてアソコを診て、毎日何をしてるか聞かれたので、悪い事だと思ってもいない私は先生に幼い頃からの父とのことを話しましたすぐ私は先生の車で婦人科に連れていかれ、その日に入院しました。20日ほどで退院すると、保護施設に預けられました。衣類を自宅に取りに行くと、父はいませんでした。病院からの通報で、父は警察に捕まったのでした。私の父は悪い事はしていないと、子供なりに思いました。先生に話すのが三日遅れてたら私は死んでいた、と婦人科の先生は言ってました。私は、友達もみんなお父さんとこんな事してるんだとばかり思っていたので、誰にも言わずに毎日、父としてたわけです。新聞やテレビで父の事が報道され、父は懲役8年と聞きました。もう父も刑務所から出ているはずなのに、大人になって行ってみた実家には父の姿はありません。実の娘に鬼畜の所業のレッテルを貼られいたたまれないのでしょう。私ももう28才。それなのに、父の行為でしか感じない身体になっていました。バイブレーターとピンクローターで自分を慰めています。そして、私は子供の産めない身体になっていました。父のペニスが最初に奥まで入ったときに、子宮は壊されたそうです。出来れば父と暮らして、毎日抱かれたいです。