僕の両親が離婚したのは、僕が高校1年生の時だった。

原因は、父の「女癖」だったようで、昔から、そのことが原因で、夫婦の喧嘩が絶えなかった。
長距離トラックの運転手をしていた父は、酒好きで、仕事の合間を縫っては飲み屋を回り、行く先々で店のママや、客の女性と浮名を流していたようだった。
小学生、中学生の時、父と母がののしり合い、時に父が母に暴力をふるうのを見るのは辛かった。
自分の部屋に逃げ込み、耳を塞ぎ、”自分は、親父のようなクソ人間にはならない”と心に誓ったものだ。
母は離婚した後、郷里に帰り、僕の親権は父が持つことになった。父子二人のおぼつかない生活が始まったのだが、近くに住んでいた祖母、つまり父の母が何かと身の回りの世話してくれたので、なんとかしのげた。

しかし、その祖母がしばらくして病に倒れ、あっけなく他界してしまったのだ。僕が高校3年になる少し前のことだった。トラック運転手の父は、仕事に出かけると2、3日は帰宅しなかった。家のことはすべて僕がやることになったが、大学受験を1年後に控えて、心理的負担は大きくなっていった。

コンビニ弁当で日々済ませ、洗濯物もたまりがちになっていき、家の中は荒れていった。そんな状況にたまりかねた、父の実家に住む叔母、つまり父の妹が声をかけてくれたのだった。父の実家には、祖母が亡くなった後、82歳になる祖父と34歳になる叔母が暮らしていた。叔母は末っ子で、長男で一番上の父とは年が16も離れていた。市役所に勤めていた叔母は年老いた祖父の世話をしていた。叔母は「出戻り」だった。26歳の時に結婚したものの、何らかの理由で、4、5年で離婚したのだった。子どもはいなかった。というわけで、1年後の大学受験を目指して僕は祖父と叔母が暮らす家に居候することになったのだった。僕が生まれたころ、高校生だった叔母は、近くに住んでいたこともあって、よくうちに遊びに来て、僕のおむつを替えてくれたり、遊んでくれたりしていたとのこと。僕のことを年の離れた弟のように思っていたようで、成人した後も、お小遣いをくれたり、何かと可愛がってくれた。

当然、僕も叔母のことを姉のように思っていたので、気兼ねなく父の実家にお世話になることにした。僕の勉強部屋には、父が昔、使っていたという2階の南向きの六畳ほどの部屋があてがわれた。1階には祖父が暮らし、2階の僕の部屋の廊下を挟んだ向かい側に叔母の部屋があった。祖父と叔母との食事。僕は久しぶりに、「家族の団らん」というものを味わった気がした。祖父も僕が小さいときから、「初孫」ということで、可愛がってくれていて、僕が希望の大学に受かるように心を尽くしてくれた。

しかし、そんな祖父も、僕が居候を始めて2か月もしないうちに体調不良を訴えて病院に行き、そのまま入院してしまったのだ。父の実家には、叔母と僕だけが取り残された。祖父が入院した日の夜。表情に疲れを感じさせる叔母の顔を見た時に、いたたまれない気がした。2人だけの食卓で、済まなさそうに夕食に箸をつける僕の気持ちを察したのか、叔母は、「みっちゃん(僕のこと)は気にしなくていいのよ。頑張って勉強して大学に受かって」と笑顔で言ってくれた。僕はその時、意識した。同じ屋根の下、叔母と2人きりだということを。親戚だとはいえ、血がつながっているとはいえ、叔母と僕は、女と男だった。僕はもう「男」と言える年になっていた。この家に居候することになったときは、祖父もいたし、叔母は僕が小さいころから家族のように接してきた存在だったし、何の違和感もなかった。 しかし、突然、祖父が入院した後、叔母と2人きりで過ごすという予期せぬ展開に事は進んでいったのだった。叔母はそれまでと変わらず、朝食を作り、弁当を作ってくれ、僕が学校に行くのとほぼ同じ時間に出勤した。

そして夕方、僕が帰宅するのとほぼ同じ時間、スーパーの買い物袋をさげて、帰宅した。祖父の病名は「再生不良性貧血」だった。しばらく入院加療が必要とのことで、叔母は時々、家から車で20分ほどのところにある病院に見舞いに通った。叔母は、昔から美人だった。有名人でいうと、女優の板谷由夏という人に似ている。僕が小学生のころ、うちで友達と遊んでいた時、たまたま叔母がやってきて、友達から「きれいな姉ちゃんだな」と言われたことが印象に残っている。

僕は、美人の親戚がいるということを誇らしく思った。叔母は普段から化粧は控えめだったが、内面からにじみ出るような優しさが、その美しさを引き立てていたと思う。祖父が入院して、僕の中に叔母に対する「邪念」が湧いてきた。それを振り払うように勉強に没頭しようとしたが、悪魔のささやきは、しどふく強力に、僕をよこしまな方向に引き寄せようとした。

「お湯冷めないうちに入れば」
パジャマを着て濡れた髪の、すっぴんでも美人な叔母が僕の部屋を覗く。
「うん、ありがと」。僕はさりげなく振り返り叔母の顔を見るが、心臓の鼓動の高鳴りをどうすることもできない。

叔母が入った後の湯船につかり、叔母の裸を想像した。そして、初めて、叔母のことを思い浮かべて自分を慰めた。それまで想像もしなかったし、想像することもやましい、汚らわしいぐらいに思っていたであろうことだった。
しかし、ひとたび、その「川」をわたってしまえば、当たり前のように、毎日毎日、叔母を脳内で愛し、凌辱した。
一緒に食事するとき、叔母の顔が直視できなかった。「何か、困ってることでもあるの?」と訊かれた。しかし、とても本当のことを口にすることはできなかった。

深刻な事態となっていった。勉強が手に付かなくなった。授業中も叔母のことが頭に浮かんで授業に身が入らない。帰宅すればしたで、叔母が身近にいることを常に意識した。
いつか自分が暴走するかもしれないと思った。

僕は決心した。”この家を出よう”と。そのために、叔母にすべてを打ち明けようと。
「梅雨入り宣言」がされた日だった。夕食の後、思い切って叔母に「話したいことがある」と告げた。叔母は怪訝な顔で台所に立っていた。
「今まで言えなかったんだけど……」。僕がちらちら叔母を見ながら言うと、叔母は気遣うような目で僕を見つめた。「叔母さんのこと、意識しちゃって……」
「私のこと? どういうこと?」。叔母はきょとんとした表情で言う。「意識って?」
いつもと変わらず、すべて包み込んでくれそうな大らかな雰囲気の叔母に、僕は安心していた。
「叔母さんのことを、女として見てしまうってこと」「えっ? だって、親戚だよ、私たち。叔母さんだよ」。びっくりしたような表情の叔母。
「僕も、まさかこんな風に思うとは思わなかったけど、じいちゃんが入院して、叔母さんと2人になって、なんか、心が変になっていって……勉強も手に付かない感じになって」
沈黙の時間が流れる。
「そうなんだ……それは困ったね」。叔母が本当に困った表情を浮かべた。
「だから、この家を出ようと思って」。叔母の目が一瞬、マジになった。
「帰っても、大丈夫なの?」「大変だろうけど、頑張ろうと思って」「そっか……」
その後もしばらく叔母は、僕が家に帰ると父が心配するかもしれないとか、もうしばらくここに留まったほうがいいのではと、そんなことを言っていた。

僕は変な気分だった。「叔母さんのこと、意識しちゃって」と告げたこと。それは、はっきり言えば、叔母に「コクった」のと同じことだったからだ。叔母は、年の功か、僕の告白をしっかり受け止め、また、まんざらでもなさそうな風に見えた。
僕の中で、「勉強に本腰を入れるために家に帰らなければ」という思いと、「叔母が欲しい」という思いが激しく交錯していた。そして、叔母を前にして話しているうちに、後者の思いが大きくなっていた。

衝動的だった。「もう無理」。その時、僕は、そんな風に口走ったらしい。
気がつくと、叔母に抱きついて押し倒していた。
しかし、どうしていいかわからず、叔母にしがみついたままだった。
「ちょっと、ちょっと。どうしたの」。叔母は慌てて僕を引き離そうとしていた。
しかし僕は、いい匂いのする叔母の温かい体に密着していた。
その時、それまでの、親が離婚したこととか、祖母が急に亡くなったこととか、ここに居候することになったこととかの、どこにも吐き出せなかった思いがあふれてきて、泣けてきた。

しゃくりあげる僕に叔母は驚いた様子だったが、僕を抱きしめたまま、頭を撫でてくれた。
僕が無意識に叔母の胸に顔を埋めると、しばらく叔母は僕の頭を撫で続けていたが、おもむろにシャツをたくし上げ、ブラを外すと、おっぱいを差し出してくれた。僕は赤ん坊のようになって、叔母の乳首を口に含んだ。
「私とみっちゃんの秘密。だから、『帰る』なんて言わなくていいから」
叔母が静かに諭すように言った。

別々に風呂に入った後、叔母の部屋に初めて入った。
常夜灯だけ点けて、一つの布団に入り、布団の中で互いにすべてを脱いだ。
叔母のしっとりした肌触りと、体の温もりと、そして、僕のどうしようもなく硬くなったチンチンが叔母の陰毛にあたりに当たった感触が忘れられない。「すごいことになってるよ」。叔母が笑った。
あの叔母と、裸でこんなことになっている。気絶しそうなくらい、非現実的な気分だった。過呼吸のようになって苦しかった。
罪悪感というものはほとんど消え失せていたと思う。生まれて初めてのセックスというものを叔母としたい、ただそれだけだった。

叔母の柔らかい指が僕の敏感すぎるチンチンの先端に伸び、こねるように動いた。フフッと叔母が笑った。「我慢汁」というやつでヌルヌルになっていたのが自分でもわかった。
叔母が小鳥のくちばしのように口をすぼめて、チュッチュとやってきた。叔母に合わせてやりながら、僕が「ほんとは、僕たち、まずいよね、こういうこと」と言うと、叔母はそれまで見たことのないような悪戯っ子のような表情で、僕のチンチンの先端を強めにつまんできた。

ふだん、市役所勤務で、地味で真面目で、毅然としていた叔母。その時は別人のように見えた。僕を誘惑するように舌をからめてきて、乳首をいじり、チンチンをいやらしく触ってきた。僕はその時、初めて”男も乳首が感じる”ということを知った。

叔母は息を荒げ、「吸って」と言いながら、僕の頭を自分のおっぱいに引き寄せた。さっきと同様に僕は叔母の乳首を口に含んだが、さっきとは違って、叔母の乳首は固くなっていて、僕の舌が動くたびに、叔母はビクンビクンと感じた。
叔母は、何かが乗り移ったかのように、せわしなく僕の頭や背中を撫で回し、「もっとして」と繰り返した。

僕が叔母を喜ばせたいと夢中でおっぱいを舐めていると、叔母は僕のチンチンをつかみ、自分の股間にあてがった。その直後、急に、なんとも言えない温かい、柔らかい感触に僕は包み込まれた。腰を沈めると、僕のチンチンが熱くヌメヌメしたものでギュっと締め付けられた。
あっけない童貞喪失の瞬間だった。叔母は待ちきれなく、何の予告も前触れもなく、僕を食べたのだった。

「入ったの?」。あっけにとられてそう訊いた僕を、叔母は悪戯っぽく見上げながら、なまめかしく腰を動かした。くねくね回したり、前後に動かしたり、突き上げたり、中に入ったチンチンを食いちぎらんばかりに締め付けたり。
あっという間に僕は限界を迎えた。「出るよ」
一気に激しい波が押し寄せてきて、腰を数回振っただけで出してしまった。叔母の中に。

「だいじょうぶ?……」。息も絶え絶えに心配そうに訊く僕に、叔母は「きょうはだいじょうぶ」と。
僕がいったん叔母から離れようとすると、叔母は僕の尻をつかんできて制止した。そして、さらに腰を動かしてくるのだった。
「おばさん、それダメだって。それより、いろいろ、したい」。僕は無理やり叔母から離れた。

意外な叔母の夜の姿だった。後から思い返すと、叔母も、当時、離婚して間が無く、寂しかったのかもしれなかった。
甥からの突然の「告白」によって、我慢に我慢をしていた思いが堰を切ったようにあふれたのだろう。
僕は女性のあそこが見たくて仕方が無かった。常夜灯だけだと見えないので、部屋の明かりを点けていいか訊くと、叔母はあっさりと「いいよ」と。嫌がると思ったが、意外な答えだった。
叔母は、僕の興奮ぶりを楽しむように、自ら長い脚を大きく開き、見せてくれた。叔母の整った顔立ちと、なんとも言えずいやらしい股間の対比が凄かった。
「初めてなの? 見るの」「うん。ネットとかでは見たことあるけど」
なんだか、叔母とそんな会話をしていること時代が夢のようだった。

叔母は、自分で指で開いて、ていねいに説明してくれた。僕がふざけて「市役所でも窓口でお客さんにそうやって説明してるの?」と訊くと、「バカ」と言われた。
叔母が開いた割れ目の奥からトロっと透明なものがあふれてきた。それを指で拭い、匂いを嗅いだが何も匂いがしなかった。

僕はもともと潔癖症のようなところがあって、他人の食べかけ、飲みかけのものには口をつけられない性分なのだが、その時、叔母のそこを気が済むまで舐めたいと思った。
いったん閉じられた叔母の脚を強く開き、僕はそこに食らいついた。「みっちゃん、だめ」。叔母が声を震わせた。
最初、やり方は分からなかったが、すぐに、どこをどうすれば叔母が喜ぶか分かってきた。
叔母が教えてくれた「クリトリス」は「鉄板」だと思った。ひどく感じた。ずっと舐め続けるより、緩急をつけたり、意表をついて舐めたりすると、よけいに感じた。その夜、僕はすごく大人に近づいたと思った。
あそこだけでなく、アナルも舐めた。足の指も舐めた。潔癖症の自分が信じられなかった。

2回目は余裕をもって叔母と一つになった。水が体内に浸透して体の一部になっていくように、叔母と僕の細胞が合わさっていくような、そんな感慨を覚えた。
恋人のように夢中でキスし、壊れるぐらい抱きしめながら、汗だくで愛し合った。叔母は、「もっと、もっと」と言いながら、両脚を僕の尻に巻き付けてきて求めた。
その夜は、朝刊が届けられる時間まで愛し合った。何回、一つになったかは覚えていない。

以来、次の日も、その次の日も、叔母とセックスした。「勉強が身に入らないから、この家を出る」と言った僕だったが、そう叔母に告げたことがきっかけとなって、さらに深みにはまりこみ、さらに勉強が手につかなくなった。授業中も叔母とのセックスのことばかり考えていた。叔母のことを本気で好きになってしまった。許されなくても、駆け落ちしてでも結婚したいと思った。

しばらくして、噂がたった。「あの家で夜な夜な変な声が聞こえる」と。祖父が入院して、叔母と居候の甥が二人で暮らしていることは近所の人々も知っていた。その家から夜な夜な……。確かに、朝、家を出るとき、夕方、帰ったとき、近所の人の目がどこかよそよそしく感じられた。
その噂がついに父の耳に入り、父から激しく叱責された。僕はあくまでしらばっくれていたが、「畜生野郎」とののしられ、ボコボコに殴られた。叔母も父から厳しく問い詰められたようだ。
僕は実家に連れ戻された。

翌春、大学受験に失敗した僕は家を出て、新聞奨学生として働きながら、その1年後に再受験し、晴れて希望の大学に合格できた。
叔母は、祖父が入院して半年ほどして亡くなった後、知人の紹介で実業家の男性と知り合い、再婚して実家を後にした。その家も今は解体されて、コインパーキングになってしまった。

僕は23歳になり、就職活動真っ只中の身だ。
40歳を迎えた叔母は、旦那になった人の仕事の関係でタイに移住してしまった。
もう会うことはないかもしれないが、叔母への想いは、消し切れていない炭火のようにくすぶり続けている。愛してるよ、香識さん! 今度生まれ変わったら、結婚してね。