マ○コは指を出し入れされたり、かき回されたりしました。
何本もの手が私の体を這いまわって気持ちが悪く、これが2時間(私の自宅の最寄り駅までの時間)も続くかと思うと、地獄のように感じられたのです。
しかし、本当の地獄はここからでした。
私は進行方向右側の扉から入って押し込まれましたので、左側の扉に近い位置にいました。
自分の降りる駅はまだだったのですが、駅が近くなるにつれて、痴漢たちの手が引っ込み、パンティは戻ってきませんでしたが、スカートも元に戻されました。
彼らが降りるのだ、と私はほっとしたのですが、それもつかの間。
駅に着くと両手首をつかまれ、何と電車を下ろされてしまったたのです。 何が起こったのか分かりませんでした。
しかし、無情にも電車は遠ざかっていってしまいます。
私は真っ白になりましたが、痴漢たちはそんなことはお構いなしで、私を何処かへと引きずっていきました。
辿り着いた先は車の中でした。
運転席に1人、後部座席には3人の男が乗っていました。
冷静に考えると、彼らは迷うことなくまっすぐに車へと向かっていました。
これは初めから計画されていたことだったのです。
しかし、全く面識はありません。
恐らく誰でも良かったのだと思います。
ここで私は初めて抵抗しましたが、時既に遅く、3人に抑えつけられてまず、m字開脚姿を写真に撮られました。
しかも、その前までの痴漢行為で若干濡れて居るマ○コに指を2本入れられた状態での撮影。
屈辱的でした。
その格好のまま、発進した車内で暫く弄くり回されましたが、声だけは出すまいと口をつぐんでいました。
そして車がついた場所はどこかのホテル。
服装を整えられて、私は引きずられるように部屋へと連れて行かれました。
部屋のドアが閉まると、ベッドの転がされ乱暴にTシャツとスカートを捲りあげられました。
全裸にしないのが、どうやら彼らの好みのようでした。
4人をそれぞれA、B、C、D、とします(が、途中からは誰が誰なのか分かりません)。
車を運転していたのがAで、彼は私のマ○コをいきなり舐めはじめました。
Bは右、Cは左の胸を弄り、Dはビデオカメラのスイッチを入れています。
ジタバタと抵抗しても無意味なのは百も承知でしたが、やはり拒絶せずにはいられないのです。
でも、暫くすると私の体は火照ってきました。
マ○コはびしょびしょに濡れ、胸を同時に吸われると、嬌声を上げました。
すると、突然男たちは触れるのをやめました。
何事かと思いましたが、私の体の火照りはもう止みません。
A「何欲しそうな顔してんだよ」B「嫌なんだろ?」C「でも、欲しいって言うなら、あげてもいいんだぜ?」D「どうしてほしい?」結局私はほしいと言わざるをえませんでした。
しかし、それだけでは彼らは私の欲するものをくれなったのです。
淫語を言わせるのが、彼らの趣味でした。
そして私は彼らの命じるままに叫びました。
『えりの淫乱マ○コにオチ●ポくださいっ!!』そこからは散々でした。
望み通りにしてやるから、なめろと言われてフェラチオを四人分した後、パイズリをさせられ、精液を飲んだり顔射させられました。
そして、電マやローターで体中を責められたっぷりと喘がされた後、Aが挿入して来たのですが……。
『痛いっいたいっ!やめてぇっ!!』A「こいつ処女だっ!」そこで初めて彼らは私が処女であることを知ったのです。
そうすると、カメラを持ったDはD「淫乱えりちゃんは実は処女でした~♪これから処女喪失場面をしっかり録画したいと思いま~す」と言って私に近寄ってきました。
BとCが私のマ○コを念入りにほぐします。
指が六本入ったところで、Aが挿入して来ました。
痛みはありませんでしたが、ぐいぐいと奥まで挿入するので圧迫感が強かったです。
そして奥に到達すると、Aがガンガンと腰を振って来るので、私はもうわけがわかりませんでした。
喘いで自分で腰を振って、気持ちいいなどと口走りもしました。
中にもたっぷり出され、全員にかわるがわる犯されてしまいました。
解放されたのは土曜日の夕方。
金曜日に帰れなくなった日は大抵そのくらいの時間まで帰らないので、親には心配もされていませんでした。
妊娠しなかったのは奇跡としか言いようがありません。
その男たちには写真とビデオをネタに脅されて、今もなお言いなりです。