恋なんて、幻みたいなもんだと思ってた。
帰り道でいつもすれ違う同じ学校の制服を着た女の子……彼女を、気にし始めるまでは。
授業中、食事中、果ては寝る前までも。
彼女の事ばかりを考えてしまう日々が続き、僕は確信した。
これは俗に言う一目惚れというやつだと。
それも、かなりの重症だ。
きっと、僕が生まれて初めて体験した恋愛感情だったんだと思う。
動悸がおさまらなくて、頭の中は真っ白で……すれ違う一瞬が永遠のように長い時間に感じられた。
好きだ、と言いたかった。
何度か話しかけようとはしたのだが、無理だった。
僕は毎日、口を貝のように閉ざしたまま彼女の後姿を見送っていた。
直接言うなんて出来やしない。 古典的な方法だが、彼女の家を突き止めて手紙で告白しよう。
そう決めた僕はある日、彼女に感付かれないように、一定の距離を保ちながら後をつけることにした。
ストーカーの真似事みたいで、躊躇う気持ちも多少あった。
が、彼女の家を知るためだけであって、他意はないと自分に言い聞かせ、尾行を続ける。
彼女は学校に逆戻りし、誰もいない校庭を横切り――入って行った先は、旧校舎だった。
そこで僕は、ようやくおかしな点に気付いた。
そう、彼女とはいつも『帰り道』で『すれ違う』のだ。
彼女は生徒が学校から帰る時間に、何故か人の流れに逆らって歩いている事になる。
『何故そんな事をするのか?』『放課後の旧校舎なんかに来る意味は?』僕は溢れる好奇心を抑える事ができず、彼女の後を追って薄暗い旧校舎を進む。
旧校舎に入ってから、彼女の歩く速度は速くなり、早足で尾けないと見失ってしまいそうだ。
彼女はギイギイと嫌な音を立てて、旧校舎の階段を上っていく。
僕も彼女が上りきったのを確認して、なるべく音を立てないように、その後に続く。
そうこうしている内に、屋上へと着いてしまった。
確か屋上は立ち入り禁止だった筈――しかし。
立ち入り禁止の看板は外れ、鎖は床に打ち捨てられ……屋上のドアは開け放たれていた。
何気なく、視線を前方に移す。
そこに見えたものは――屋上を朱色に染めあげる夕日。
柵を乗り越え、強風に黒髪をなびかせる彼女。
揃えられた靴。
靴の下に置かれた封筒。
鈍感な僕でも流石に彼女が何をしようとしているのか、大方の予想はついた。
「は、早まっちゃ駄目だ!」そう叫ぶのが早かったか、それとも足が先に動いていたのか。
僕は駆け出した。
どう考えても飛び降り自殺だ。
なんてこった。
彼女に向かって走りながら、手を伸ばす。
風に揺れる黒髪が、僕の指先に触れるか触れないかの所で、彼女の身体はふわりと宙に浮き、そして消えた。
「嘘……」振り向きもせずに。
「嘘だろ、こんなの」彼女は僕の目の前で屋上から身を投げた。
「頼むよ……嘘って言ってくれ」まるで、僕の声など聞こえていないかのように。
情けないほどに狼狽え、ふらつきながら、恐る恐る地面を覗き込む。
……誰も、いなかった。
今、僕の見た光景は何だったんだろうか? 性質の悪い白昼夢なのか?風が吹いた。
不意に寒気がして、僕は後ろを振り向く。
そこに彼女は……立っていた。
石榴みたいに、頭がぱっくり割れていた。
血走った大きな目が、ぎょろりと動く。
彼女はごぼごぼと口から血の混じった泡を吹き出しながら言った。
「ねえ……一緒に飛ぼう?」